競艇の『桐生順平』選手とは?ターンの特徴や得意コースまで徹底解説

競艇の『桐生順平』選手とは?ターンの特徴や得意コースまで徹底解説

画像元:西日本スポーツ

そのターンスピードの速さから、『新世代ターン』などと呼称されるターンでも幅広く知られている桐生選手。

ご存知の人も多いかも知れませんが、今回当記事では、競艇の『桐生順平』選手について詳しく紹介していきます。

桐生選手は2007年5月に戸田競艇場でデビューを飾った福島県石川郡古殿町出身のトップレーサーで、埼玉支部に所属しています。

競艇のレースでは、第1コーナーの攻防でほぼ勝敗が決まるとされていますが、桐生選手はそのターンスピードの速さの利を活かし、2周目や3周目で逆転することもありますがそれをできる選手は多くはないでしょう。

地元の戸田競艇場では、上昇気流にちなんで『常勝桐生』と呼ばれるほど愛されている人気の選手です。

記事中では、レース時の特徴や獲得賞金など桐生選手がどのような選手か詳しく見ていきますので予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

 

桐生選手が競艇選手を目指したきっかけは?

桐生選手は元々、運動とスピードの出る乗り物が好きだったそうです。

高校時代には自転車競技の選手として全国大会に出場するほどの選手で、競輪選手を目指していたと言われています。

現在では引退されていますが、桐生選手には競輪選手だったお兄さんがいて、学生時代は兄弟で自転車競技をやっていました。

しかし、自身の体格が小柄だったことなどから競輪選手への道を断念し考えた末に、スピードの出る乗り物好きということと、体格の利を活かせるからという理由から競艇選手を志したそうです。

 

デビュー後の成績

 

画像元:ボートレース大村 公式Twitter

桐生選手は、2007年5月17日に戸田競艇場にて開催された一般戦『スポーツ報知スプリングカップ』でデビューし、6コースから3着という結果を残しています。

また、同節の第6レースにて6コースからのまくりを決め、デビューからわずか6走目で初勝利を飾ります。

さらにその翌年、2008年12月7日に戸田競艇場にて開催された一般戦『ボートピア岡部カップ開設7周年記念』では初優出を掴み取ります。

後ほど詳しく記載しますが、デビュー当時から桐生選手のレースの特徴が良く出ていると言えるでしょう。

 

 

G1初勝利から賞金王となるまで

画像元:サンスポZBAT!ボート

桐生選手はその後も順調に成績を重ねていき、2011年1月25日に宮島競艇場にて開催された『G1共同通信社杯第25回新鋭王座決定戦』でG1初出場を果たし、同節にてG1初勝利もその手に収めます。

同年5月には、SG初出場を決めると、同節でSG初勝利を果たします。 

さらに同年8月、戸田競艇場にて開催された一般戦『第34回戸田ボート大賞サンケイスポーツ杯』で4コースからのまくりを決め、通算優出22回目で初優勝を果たしました。

ここまでにデビューから約4年、当時から桐生選手のポテンシャルを最大限に発揮し、その頭角を現していったと言えるでしょう。

勢いもそのままに、2012年5月に浜名湖競艇場にて開催された、現在のボートレースオールスターにあたる『SG第39回笹川賞競走』でSG初優出を果たします。

桐生選手はG1の優出よりSG優出の方が早かった選手で、G1初優出は2013年に桐生競艇場にて開催された『開設57周年記念競走・GⅠ赤城雷神杯』でした。

その翌年、2014年9月28日に戸田競艇場で開催された開催された『第1回ヤングダービー』にて見事G1初優勝を飾るのですが、優勝戦は3艇がフライングする荒れたレースとなり、決まり手は恵まれとなりました。

そして、桐生選手はその後も快進撃を続け、2015年3月22日に尼崎競艇場にて開催された『SG第50回ボートレースクラシック』で1コースからの逃げを決め、SG初優勝をその手に掴み取ります。

しかし、同年4月9日に大村競艇場にて開催された『GⅠ開設63周年記念・海の王者決定戦』の優勝戦で、インコースからコンマ02のフライング事故を起こしてしまいます。

そのペナルティとして、2016年1月29日までのG1およびG2が出場停止となってしまい、前年度覇者であったヤングダービーの出場資格を喪失してしまいました。

その後、2015年9月7日に桐生競艇場にて開催された一般戦『スカパー!・第15回JLCカップ』で、1コースからの逃げを決め、通算500勝を達成します。

桐生選手は、2016年2月9日に多摩川競艇場で開催された『G1関東地区選手権』でG1レースに復帰すると、見事に優勝を果たしました。

2017年3月20日に児島競艇場にて開催された『SG第52回ボートレースクラシック』で2度目のSG優勝を果たします。

デビューから10年、この頃にはトップレーサーとして不動の地位を確立していたと言えるでしょう。

そして来る2017年12月24日、住之江競艇場にて開催された『SG第32回グランプリ』で1コースからの逃げを見事に決め、全競艇選手の夢の舞台とされているレースで優勝を果たします。

桐生選手は、その年度の賞金王、MVPにも選出され、名実ともにその年のNo.1競艇選手の栄冠を手にしました。

 

桐生順平選手の特徴・得意なコース

画像元:ボートレース住之江 公式Twitter

続いて、桐生選手のレース時の特徴や得意なコースを見ていきましょう。

桐生選手のレーススタイルの最大の特徴といえば、ターンスピードを活かした4コースや5コースからの『差し』や『まくり差し』が挙げられます。

そのため、アウト寄りのコースからの出場でも舟券に絡むことは十分に考えられるでしょう。

桐生選手の進入は基本的に枠なり進入ですが、チャンスがあれば少しでも内側のコースを狙う傾向があります。

しかし、積極的にインコースを取りに行ったり強引な前づけを行うタイプの選手ではありません。

桐生選手の平均スタートタイミングは、0.14とSGクラスの選手と比較しても早い方のタイムと言えるでしょう。

さらに桐生選手は、どのコースからでも同じくらいのスタートタイミングで、スタート事故も少なく非常に安定しています。

桐生選手が出場するレースは、モーターの引きがよほど悪くない限り、舟券に絡む可能性はかなり高いと言っても過言ではありません。

また、どのコースからでも1着を狙える実力を持つ選手ですが、1号艇~4号艇での出場であれば1着、または2着にかなり期待できるでしょう。

5号艇、6号艇からの出場であれば4着以降も考えられますが、他の選手と比較した場合に舟券に絡む可能性は高いことも桐生選手の特徴とされています。

 

桐生選手のレースは高額配当が出やすい!?

 

前記したように、桐生選手は特に『4コース、5コース』からの『差し』と『まくり差し』を得意としています。

連対率も4コースは約75%、5コースでは約60%と、かなりの高い数字であることが分かります。

競艇では、インコースが圧倒的に有利とされていることから、この数字は驚異的な数字と言われています。

2018年6月に多摩川競艇場にて開催された『SG第29回グランドチャンピオン』では、6号艇からの出場にもかかわらず、得意の差しで見事に勝利を飾りました。

一流のトップレーサーが集うSGレースで、6号艇から勝利することは非常に稀で、そのレースの配当金が『19万円』を超える超高額配当になったことも話題となりました。

上記のことから、桐生選手が4号艇、5号艇から出場しているレースは狙い目になるかも知れません。

 

桐生選手の獲得賞金

最後に、桐生選手の獲得賞金額を見ていきましょう。

以下の表に過去5年間の獲得賞金額をまとめました。

順位  獲得賞金額
2016年 4位 1億383万円
2017年 1位 2億12,24万1,000円
2018年 6位 86,71万959円
2019年 4位 1億49,64万1,000円
2020年 25位 64,88万3,000円

過去5年間の中でも、賞金王の栄冠を掴んだ2017年は物凄い金額ですね。

この年は獲得賞金ランキングを見ても、ぶっちぎりの金額でした。

今後も桐生選手がどこまで獲得賞金を伸ばすか楽しみですね。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『桐生順平』選手について詳しく紹介してきました。

桐生選手のレースの特徴や傾向を知ることで、今後のレースがより楽しめるようになると思います。

桐生選手の得意なコースなど、実際にレースを予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

競艇の『池田浩二』選手ってどんな人?特徴や獲得賞金まで徹底解説!

競艇の『池田浩二』選手ってどんな人?特徴や獲得賞金まで徹底解説!

画像元:サンスポZBAT!ボート

ウイリーモンキーの発明者で幅広く知られていて、その操縦技術の高さは航空自衛隊の曲技を連想させるほどで、『ブルーインパルス』の異名を取る池田選手。

ご存知の人も多いかも知れませんが、今回当記事では、競艇の『池田浩二』選手について詳しく紹介していきます。

池田選手は、1997年11月19日に地元である常滑競艇場でデビューを飾った愛知県常滑市出身のトップレーサーで、愛知支部に所属しています。

現在の競艇のレースにおいて必須のターン技術とされているモンキーターンですが、池田選手はそれをさらに昇華させたようなウイリーモンキーを武器に勝利を上げ続け、現役選手の中では2番目に多くSGタイトルを獲得しています。

記事中では、レース時の特徴や獲得賞金など池田選手がどのような選手か詳しく見ていきますので予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

それでは、順を追って見ていきましょう。

 

ウイリーモンキーの発明者

画像元:日刊スポーツ

冒頭でも少し触れましたが池田選手は『ウイリーモンキー』というターンの発明者としても広く知られています。

ウイリーモンキーとは、モンキーターンの際にボートの先端を持ち上げることで水面との抵抗を減らし、ターンの速度を速くする高度なターン技術のことを指します。

90年代後半から定着し、競艇のターンの花形と言えば『モンキーターン』でしたが、現在では数多くの選手が活用していて、第一線で活躍するためには、デフォルトのテクニックと言っても過言ではないでしょう。

そのため現代では、各選手がそれぞれの形でターンを昇華させているのですが、本人いわくモンキーターンの際にボートのハンドルを引っ張るクセがあり、その力でボートの先端が持ち上がりウイリーモンキーになるということらしく、モンキーターンを意図的に昇華させた技術ではないそうです。

池田選手本人も、過去に『自分でウイリーさせているイメージはないですね』と発言されています。

このウイリーモンキーはかなり高度なターン技術を要する超高等テクニックで、数多くの競艇選手でも使いこなせる選手は多くないとされています。

さらに、レース時の水面状況やモーターの調子などでウイリーモンキーが出来るかどうかが変わってしまうらしく、毎回ウイリーモンキーでターンできるかどうか分からないだけではなく、その場での高い判断能力も必要となる超高度なターン技術と言えるでしょう。

 

デビューからの快進撃

池田選手は、1997年11月19日に地元である常滑競艇場でデビューを飾り、その翌年には早くも初勝利を掴み取ります。

さらにその翌年の1999年5月に、常滑競艇にて開催された『中日スポーツ争奪捕第19回チャンピオン大会』で、4号艇からの抜きを決めて初優勝を飾っています。

その勢いのまま同年7月には、A1クラスへの昇級を果たし、その存在を競艇界に知らしめました。

この頃には、既にA1クラスで不動の地位を築いていた池田選手は、2000年1月25日からびわこ競艇場にて開催された『第14回新鋭王座決定戦競走』でG1初勝利を飾ります。

そして、同レースでG1初優勝も果たすという、圧倒的な強さを見せつけながらの快進撃を続け、自らの手でトップレーサーとしての道を切り拓いていきます。

 

その後も続々とタイトルを獲得していく池田選手

画像元:西日本スポーツ

その後も池田選手は続々とタイトルを獲得し、名実ともにトップレーサーとして活躍していくこととなります。

池田選手のSGレース初勝利は2002年の8月、地元常滑からほど近い、愛知県は蒲郡競艇場で開催された『SG第4回モーターボート記念競走』でした。

競艇では、初勝利まで数年掛かる選手も少なくないとされている中、デビューからわずか5年でSGレースの勝利を飾れたのは、池田選手のポテンシャルが本当に高いところと言えるでしょう。

2002年11月26日から津競艇場にて開催された『SG第5回競艇王チャレンジキャップ』では準優勝の結果を出し続け、賞金ランキングにノミネートを果たし、全競艇選手の憧れの舞台とされる、現在のボートレースグランプリにあたる『賞金王決定戦』に出場を果たします。

そして、池田選手がSGレースで初優勝を飾るのは翌年の2003年のことでした。

2003年6月24日から丸亀競艇場にて開催された『SG第13回グランドチャンピオン決定戦』で1コースからの見事な逃げを決め、ついにSG初優勝を飾りました。

そして、そこから池田選手は続々とSGタイトルをその手に収めていきます。

2005年には、『賞金王シリーズ(ボートレースグランプリシリーズ)』、2009年に『総理大臣杯とモーターボート記念(ボートレースクラシック)』、2011年には『笹川賞(ボートレースオールスター)』、『全日本選手権(ボートレースダービー)』、そして『賞金王決定戦(ボートレースグランプリ)』と、全てのレースで勝利し、2011年はMVPにも選出されました。

池田選手は2021年現在までに、6つのSGタイトルを獲得していて、残すところは『オーシャンカップ』と『チャレンジカップ』のみとなっていますが、2013年からはSGレースで優勝していません。

ちなみに、SGが8冠になってからはグランドスラムを達成した選手はまだいないので、ぜひとも池田選手がグランドスラマーと呼ばれるSG完全制覇者になることに期待しておきましょう。

 

池田選手のレーススタイルと特徴

画像元:ボートレース大村 公式Twitter

続いて、池田選手のレーススタイルと特徴を見ていきましょう。

池田選手のレーススタイルで最大の特徴と言えば、前記したようにやはりウイリーモンキーでしょう。

その美しいターンスタイルは、ファンの心を掴み、魅了し続けています。

レースの時の進入コースは、基本的に枠なりで進入することが多いです。

池田選手は、強引にインコースを取りに行ったり、前づけを行うこともあまりしない選手と言われています。

フライングなどのスタート事故も少なくスタートのタイミングも安定していますが、平均スタートタイムは0.14とトップレーサーの中では平均的なタイムと言えるでしょう。

池田選手はその操縦技術の高さから、どのコースからでも1着に入る可能性のある選手なので、池田選手が5号艇や6号艇で出場するレースは高額配当の狙い目かも知れません。

 

池田選手の獲得賞金額

最後に池田選手の獲得賞金額を見てみましょう。

以下の表に過去5年の池田選手の獲得賞金額をまとめました。

順位 獲得賞金額
2016年 8位 89,530,000円
2017年 42位 42,941,000円
2018年 19位 62,252,000円
2019年 15位 69,550,000円
2020年 19位 70,948,000円

2021年現在までの池田選手の生涯獲得賞金額は、『約19億円』とされています。

SGタイトルを6つも獲得しているトップレーサーの生涯獲得賞金は、その金額も物凄いですね。

今後も、池田選手が生涯獲得賞金額を伸ばしていくのを楽しみにしておきましょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『池田浩二』選手について詳しく紹介してきました。

ウイリーモンキーなど、池田選手のレースの特徴を知ることで今後のレースがより楽しめるようになると思います。

池田選手はどのコースからも1着が狙える選手なので5号艇や6号艇から出場している時は狙い目かも知れません。

実際にレースを予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

競艇の『白井英治』選手とは?特徴や無冠の帝王の由来まで徹底解説!

競艇の『白井英治』選手とは?特徴や無冠の帝王の由来まで徹底解説!

画像元:スポニチアネックス

『無冠の帝王』、『ホワイトシャーク』などの異名でも幅広く知られていて、そのストイックな人間性でもファンを魅了し続ける白井選手。

ご存知の人も多いかも知れませんが、今回当記事では、競艇の『白井英治』選手について詳しく紹介していきます。

白井選手は1997年5月に下関競艇場でデビューを飾った山口県美祢市出身のトップレーサーで、山口支部に所属しています。

白井選手は、2014年に競艇選手としてSG優勝を勝ち取るまで17年、回数にして68回という期間が掛かった苦労人としても有名ですが、本人は『自分に足りなかったものがあった』と冷静に語るなど、苦労とは思っていなかったそうです。

諦めずに努力を続け、結果を出す姿勢に多くのファンは心を打たれ、歓喜しました。

それでは、そんな白井が競艇選手を目指したきっかけから現在まで順を追って見ていきましょう。

レース時の特徴や獲得賞金など、白井選手がどのような選手か詳しく見ていきますので予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

 

白井選手が競艇選手を目指したきっかけは?

画像元:BOAT RACEオフィシャルウェブサイト

白井選手が競艇選手を目指したきっかけは、父親の影響が大きいとされています。

白井選手は父親が競艇好きだったこともあり、小学生の頃から競艇場に通っていて、その頃から既に競艇選手になりたかったそうです。

そして、その頃の志をそのままに、高校卒業後にかつて山梨県に存在した山梨県の本栖湖を訓練場とする『本栖研修所』を受験します。

しかし、学科の点数や、血圧や身長オーバーによる身体的な理由から合計4度の受験が不合格となってしまいます。

白井選手は、5回目の受験で合格し晴れて競艇選手になるまでの約2年間に新聞配達のバイトをしながら理工系の専門学校に通っていた過去もあり、当時からストイックな人間性であったということが分かりますね。

白井選手のデビュー後の成績

冒頭でも少し触れましたが、白井選手は1997年5月22日に下関競艇場でデビューし、同年6月13日に宮島競艇場で開催された、一般競走2日目の9Rで5コースからまくりを決め、見事初勝利を飾りました。

また、同年7月16日に福岡競艇場で開催された『追い山特選レース』で初優出し、優勝戦では5着に入るなど、デビュー年からその頭角を現していきます。

そして、翌年も1998年12月8日に地元である、下関競艇場で開催された『競帝王決定戦 開設44周年記念競走』で見事G1初出場を果たしたものの、選手責任のスタート事故を起こしてしまい失格となってしまいました。

しかし、白井選手はその翌年の1999年1月24日、蒲郡競艇場で開催された一般戦にて6コースから見事な差しを決め、初優勝を飾ることとなるのでした。

 

『無冠の帝王』がSGレースで優勝するまで

 

画像元:西日本スポーツ

その後も白井選手の勢いは衰えることなく、2000年1月25日にびわこ競艇場で開催された『第14回 新鋭王座決定戦競走』の6Rで4コースからの差しを決めてG1初勝利を飾り、同年9月17日に蒲郡競艇場で開催された『ダイヤモンドカップ』にてG1初優出を手にしました。

2001年には、尼崎競艇場で開催された『第6回オーシャンカップ競走』でSG初出場を果たし、10月28日に常滑競艇場で開催された『第48回 全日本選手権競走』で念願のSG初優出を掴み取りました。

しかし、その後も記念レースやSGレースの常連選手として在り続けるも、SGで優勝することは中々できず、白井選手が『無冠の帝王』と称されるようになったのもこの頃からでしょう。

そして、2002年3月19日に平和島競艇場にて開催された『第37回 総理大臣杯競走』4日目の2Rで3コースからまくりを決め、ついにSG初勝利を手に入れます。

その翌年の2003年10月7日に平和島競艇場にて開催された『トーキョー・ベイ・カップ 開設49周年記念競走』で1コースからの逃げ切りを見せ、デビューから6年でG1初優勝を飾りました。

さらにその2年後、2005年5月17日には通算500勝目となる勝利を津競艇場にて開催された『第34回 つつじ賞王座決定戦 開設53周年記念競走』で挙げたあと、しばらく成績が伸び悩むことに。

しかし、白井選手はその後も競艇選手として奮闘し続け、2011年1月3日に下関競艇場にて開催された『スポニチ金杯争奪 関門大賞』で4コースからの逃げ切りを見せ、見事通算1000勝目の勝利を手に入れます。

さらに、同年7月5日に浜名湖競艇場にて開催された『東日本大震災被災地支援競走 浜名湖賞 58周年記念』では、3コースからの、まくりを成功させ通算50回目の優勝を飾り、『無冠の帝王』のまま記録を伸ばし続けます。

そしてついに、2014年8月31日に若松競艇場にて開催された『第60回ボートレースメモリアル(モータボート記念)』で2コースから見事なまくりを決め、SG初優勝をその手に納めることを果たしました。

デビューから実に17年、『無冠の帝王』は帝王であり続ける為の努力を怠うことをせず見事冠を獲得し、このレースは競艇史にも、競艇ファンの心にも深く刻まれたことでしょう。

 

白井選手のレースの特徴

画像元:ボートレース若松公式サイト

続いて、白井選手のレース時の特徴を見ていきましょう。

白井選手の1番の特徴は、その巧みなハンドル操作の技術から繰り出される鋭角なターンとされています。

そのターン技術とハンドル捌きから『関門のホワイトシャーク』の異名を取るほどで、師匠である『今村豊』選手からも高く評価されています。

白井選手はインコースからのレースを得意としていますが、1コース以外からのレース展開を苦手としている訳ではありません。

そのハンドル操作の技術と集中力の高さから、どんな状況にでも対応することができる、レース力の高さも白井選手の特徴の1つと言えるでしょう。

平均スタートタイミングは0.14とトップレベルで、勝率も8.04と高い数字をキープしており、まさに一流のトップレーサーと言えるでしょう。

※上記データ集計期間:2020/05/01~2020/10/31 引用元:BOAT RACEオフィシャルウェブサイト

 

白井選手の得意なコース

次に、白井選手の得意なコースを見てみましょう。

白井選手の進入は基本的に枠なり進入で、そのハンドル操作技術の高さから、どのコースからも1着を狙える実力です。

しかし、近年は5コースや6コースといったアウトコースでの勝率が著しく低くなっているのも事実と言えるでしょう。

その理由として挙げられるのがスタートのタイミングです。

前記したように白井選手の平均スタートは0.14と好タイムなのですが、やはりアウトコースは苦手なのか6コースでのスタートタイミングは0.22と極端に遅くなってしまう傾向があります。

しかし白井選手の勝率は現在でも高く、賞金ランキングでも上位に食い込んできているので全体的な調子が悪いという訳ではありません。

1コースから4コースまでに入るレースであれば1着を取る可能性も十分に考えられますので、常に注目しておく必要があるでしょう。

 

白井選手の獲得賞金額

ここまでの記事にもあったように、白井選手は獲得賞金ランキング上位の常連となる実力を持つ一流のトップレーサーです。

当然、獲得賞金の方も気になりますよね。

それでは、獲得賞金額を順に見ていきましょう。

白井選手の、過去5年間の獲得賞金ランキングの順位と獲得賞金額を以下の表にまとめました。

順位 獲得賞金額
2016年 15位 67,79万80円
2017年 5位 1億10,72万2,000円
2018年 3位 1億26,40万1,000
2019年 6位 1億19,45万7,000円
2020年 7位 69,61万3,000円

上記にあるにも通り、2017年~2019年まで3年連続で1億円を超えています。

獲得賞金で見ても、白井選手のアベレージが高いことが分かりますね。

今後、白井選手がどこまで生涯獲得賞金額を伸ばしていくのか楽しみにしておきましょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『白井英治』選手について詳しく紹介してきました。

『無冠の帝王』が冠を手にするまでには並々ならぬ努力があったことは間違いないでしょう。

白井選手のレースの特徴や、得意なコースなどは実際に予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

『賞金王の歴史に白井英治の名を刻みます』という白井選手自身の発言が現実となる日を楽しみに、今後も応援していきましょう。

 

競艇の『菊地孝平』選手ってどんな人?レースの特徴や成績を徹底解説

競艇の『菊地孝平』選手ってどんな人?レースの特徴や成績を徹底解説

画像元:BOAT RACEオフィシャルウェブサイト

そのスタートタイミングの速さと判断能力は、競艇界でもトップクラスの定評があり、間違いなく現代を代表するトップレーサーの1人である菊地選手。

ご存知の人も多いかと思いますが、今回当記事では、競艇の『菊地孝平』選手について詳しく紹介していきます。

菊地選手は1998年5月に競艇選手としデビューした静岡支部に所属している選手です。

菊地選手は、レースの判断能力が非常に高いことも特徴の1つで、『菊地のIQは160ある』と本栖養成所時代の教官が語ったことがあるほどで、レース中にとっさの判断ができることも強さの秘訣と言えるでしょう。

それでは、菊地選手がどのような選手なのか詳しく見ていきますのでぜひ、予想する時の参考にしてみてくださいね。

 

菊地選手が競艇選手になったきっかけと選手としての目標

菊地選手が競艇選手になったきっかけは、競艇好きである菊地選手の父親の勧めが大きく影響しているそうです。

菊地選手は高校時代に野球部で活躍していたそうで、菊地選手の運動神経の基礎はその頃に養われたのでしょう。

また、冒頭でも少し触れましたが菊地選手は非常に頭の回転が早い選手と言われていて、高校時代も数学や物理などの勉学も好きで、将来は飛行機の設計開発などの職に付きたいと考えていたそうです。

その成績から、岩手県の名門大学に推薦で合格していましたが、父親の勧めから同時に受験、合格していた本栖研修所に入所しました。

そして競艇選手になった菊地選手は、競艇選手としての目標を『自分に満足すること』と語っており、その目標からもストイックな人間性であることが伝わってきます。

 

菊地選手のレーススタイルと特徴

 

画像元:ボートレース児島 公式Twitter

続いて、菊地選手のレーススタイルや特徴を見ていきましょう。

菊地選手に見られるレーススタイルの最大の特徴として、スタートの上手さが挙げられます。

競艇選手は、第1レースが始まる前やレースの合間にスタートのタイミングなどの練習を行います。

当然、本番のレースで水面の状況や天候、風速や風向きなどが変わっている場合も少なくないのですが、そういった場合の軌道修正の技術が高いことも菊地選手の特徴の1つと言えるでしょう。

競艇では、このような判断能力の高さやレースの展開をその場で変更する決断力に頭の回転の速さやレース経験の利が出るとされています。

菊地選手の平均スタートタイミングは0.10~0.15で、この数字はSGクラスの選手と比較してもトップレベルと言えるでしょう。

 

SGレースでフライングした過去も!?

そのスタート能力の高さから、基本的にはスタート事故が少ないことで定評のある菊地選手ですが、SGレースの大舞台でフライングをしてしまった経験があります。

2015年の5月27日に大村競艇場で開催された、『SG第42回ボートレースオールスター(笹川賞)』2日目の第10レースにおいて菊地選手は、コンマ01というほんのわずかな誤差でフライングをしてしまい、賞典除外となった過去も存在します。

このスタート事故により菊地選手のボートレースオールスター連覇という夢は途絶えてしまいました。

さらに、この年の前年に同大会で優勝していた菊地選手に人気が集まっていたため、5号艇での出場だったにもかかわらず、発売額(1億1620万500円)の約57%にあたる6,649万8,700円が返還されてしまうこととなりました。

SGレース連覇が掛かっていた勝負でフライングをしてしまった悔しさは、本人以外は計り知れないことでしょう。

 

1コース以外からの勝率が高い

画像元:日刊スポーツ

競艇では1コースが圧倒的に有利とされていて、これは競艇の基本中の基本で、全国に24ヵ所ある競艇場で1コースの平均1着率は、50%以上にも上ります。

しかし、菊地選手はその1コース以外からの優勝や、優勝戦進出が多いことも特徴の1つとして挙げられている選手です。

レースの時、4コースまでに進入することができればかなりの確率で2着までに入ってくる可能性が高いと言えるでしょう。

5コース、6コースでも、1着は厳しくとも舟券に絡んでくる可能性は十分に考えられます。

レースに出場している相手選手のスタートの上手さにもよりますが、基本的に菊地選手が舟券に絡む可能性はかなり高いとされています。

菊地選手が出場するレースでは、常に注目しておくことが必要と言えるでしょう。

 

菊池選手の得意なコースは?

画像元:サンスポ

先ほど、菊地選手は1コース以外からの勝率が高いことを紹介しました。

では、菊地選手が1コース以外からの場合、一体どのコースが得意なのか詳しく見てみましょう。

菊地選手はSGやG1 などの重要なレースで1コース以外では、特に2コースからの場合に結果を残していることが多く見受けられます。

菊地選手が、2コースから優勝しているレースを以下の表にまとめました。

開催年月 開催場所 グレード レース
2009年11月 三国競艇場 G1 第56回北陸艇王決戦
2014年6月 福岡競艇場 SG 第41回ボートレースオールスター(笹川賞)
2016年8月 桐生競艇場 SG 第62回ボートレースメモリアル(モーターボート記念競走)
2017年2月 浜名湖競艇場 G1 浜名湖賞開設63周年記念
2020年2月 多摩川競艇場 G1 ウェイキーカップ開設65周年記念

※上記は2021年1月までのデータになります。

菊地選手はこれまでに一般戦でも3回、2コースからの優勝を決めています。

今後の予想の際にも、菊地選手が2コースを取りそうなレースは特に注目しておく必要があると言えるでしょう。

 

菊地選手の獲得賞金額は?

ここまでの記事にもあったように、菊地選手は競艇選手として第1線で活躍しているトップレーサーの1人です。

当然、獲得賞金の方も気になりますよね。

それでは、菊地選手の獲得賞金額を見ていきましょう。

菊地選手の、過去10年間の獲得賞金ランキングの順位と獲得賞金額を以下の表にまとめました。

順位 獲得賞金額
2011年 25位 49,46万1,000円
2012年 24位 49,44万4,000円
2013年 20位 54,21万1,600円
2014年 1位 1億69,54万9,000円
2015年 27位 47,44万1,500円
2016年 3位 1億34,66万0,500円
2017年 8位 99,94万0,000円
2018年 9位 85,27万6,000円
2019年 12位 84,79万5,000円
2020年 8位 1億75,97万6,000円

引用元:ボートレース公式サイト(リンクは2020年のランキングになります)

競艇選手の平均年収は1,600万円と言われています。

獲得賞金で見ても、菊地選手が1流のトップレーサーということが分かります。

2021年の獲得賞金額もどこまで伸びるか楽しみにしておきましょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『菊地孝平』選手について詳しく紹介してきました。

菊地選手が競艇選手になったきっかけや、競艇選手としての目標などは知らなかった人も多かったのではないでしょうか。

レース時の特徴や得意なコースなどは、実際に菊地選手が出場するレースを予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

競艇の『松井繁』選手ってどんな人?絶対王者の特徴や記録を徹底解説

競艇の『松井繁』選手ってどんな人?絶対王者の特徴や記録を徹底解説

画像元:サンスポZBAT!ボート

『絶対王者』の異名で艇界のイケメンとしても幅広く知られていて、競艇好きの人なら1度はその名前を聞いたことがあると言っても過言ではないでしょう。

ご存知の人も多いかも知れませんが、今回当記事では、競艇の『松井繁』選手について詳しく紹介していきます。

松井選手は、1989年5月に住之江競艇場でデビューを飾った大阪府の吹田市出身のトップレーサーで、大阪支部に所属しています。

競艇の盛んなエリアである、近畿地区の絶対的なエースレーサーで、『絶対王者』の異名に恥じることのない素晴らしい成績を残していることからも、その圧倒的な実力が分かります。

レース時の特徴や獲得賞金など、松井選手がどのような選手か詳しく見ていきますので予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

それでは、順を追って見ていきましょう。

 

松井選手が競艇選手を目指したきっかけ

画像元:BOAT RACEオフィシャルウェブサイト

競艇選手を目指すきっかけとして、大半の選手が父親などに連れられて学生時代に実際の競艇のレースを見たことを挙げられています。

しかし、松井選手にはそのようなきっかけはなかったとされています。

小・中学生時代はテニスをされていたようですが、目立つような選手ではなかったそうです。

高校は、大阪府大阪市にある北陽高校学校に進学しますが、将来の進路ややりたいことを見出せず、大学を受験するつもりだったとされています。

そんな時、松井選手の実家である魚屋の従業員さんから競艇選手の養成所の募集案内を渡されたことがきっかけとなり養成所に応募したところ、見事に合格し競艇選手への道を進むことになりました。

この頃はまだ、家族や周りの人なども松井選手が艇界の絶対王者になることは予想もしていなかったでしょう。

 

デビュー後の快進撃

松井選手の才能は、養成所時代から既に見え隠れしていたそうですが、1989年に地元である住之江競艇場でデビューを果たし、その後すぐに頭角を現し始めました。

松井選手は、デビューしてわずか半年でB1クラスに昇格し、その翌年にはA1クラスに昇格します。

また、デビューから3年後にはG1レースで優勝を果たし、この頃から松井選手の話題性や注目度が高くなっていったと言えるでしょう。

その後しばらくは、G1で優勝できない期間が続いてしまうのですが、1995年2月にびわこ競艇場で開催された『第38回近畿地区選手権』で2度目のG1優勝を手にします。

そして、同年に大村競艇場で開催された『開設43周年記念海の王者決定戦』で3度目のG1優勝を果たしたことで毎年、年末に開催されている現在の『ボートレースグランプリ』にあたる、『賞金王決定戦』へ出場しました。

松井選手はその年から10年もの間、賞金王決定戦に連続出場する快挙を成し遂げました。

 

艇界の絶対王者となった松井選手の特徴

画像元:スポニチアネックス

それでは、艇界の『絶対王者』と異名を持つ松井選手のレースの特徴を見ていきましょう。

松井選手はその異名の通り、ターン技術、スタート技術、さばきの技術に加え、整備技術までも一流の技術を持つ選手と言われていて、現在の競艇界において最もレベルの高い選手の1人と言っても過言ではないでしょう。

松井選手のレーススタイルから、1戦だけを考えたレースをしているのではなく節間を通してのレースを考えていることが窺えます。

具体的には、準優勝戦が最低ライン、次に優勝戦、その次に優勝する、そのためには何着までには入らなくてはいけない、といったような節間を通したプロセスが考えられていて、まさに競艇を知り尽くしたような戦法と言えるでしょう。

そのため、松井選手は毎回絶対に1着を狙うという感じではありません。

また、松井選手にはイン屋という特徴もあり、基本的に進入コースは枠なり進入が多いですが、イン寄りのコースが狙える時にはどんどんインコース狙っています。

その実力の高さから、競艇で圧倒的に不利とされている6コースからでも舟券に絡むことも少なくありません。

そして、松井選手が1コースに入った時の1着率はかなり高くなっています。

松井選手が1号艇の場合や1コースを取りそうな場合では、1着予想の舟券もまず外せないでしょうし、5コースまでの進入であれば1着の可能性は十分に考えられますが、6コースの場合は舟券に絡むくらいになること多いと言われています。

しかし、どのコースからのスタートであっても常に舟券に絡んでくる実力を持っているので、松井選手が出場するレースを予想をする際には常に注目しておく必要があると言えるでしょう。

 

松井選手が優勝したSGレース

画像元:ボートレース平和島 ピースターブログ

続いて、松井選手が優勝したSGレースについて詳しく見ていきましょう。

松井選手は、過去に12回のSGレースで優勝を果たしており、この数字は競艇界でも驚異的な数字と賞賛されています。

松井選手が優勝したSGレースを以下の表にまとめました。

優勝回数 開催年月 開催場所 レース
1回目 1996年5月 児島競艇場 第23回笹川賞
2回目 1998年7月 三国競艇場 第3回オーシャンカップ
3回目 1999年12月 住之江競艇場 第14回賞金王決定戦
4回目 2001年5月 浜名湖競艇場 第28回笹川賞
5回目 2006年7月 若松競艇場 第11回オーシャンカップ
6回目 2006年12月 住之江競艇場 第21回賞金王決定戦
7回目 2008年3月 児島競艇場 第43回総理大臣杯
8回目 2008年7月 蒲郡競艇場 第13回オーシャンカップ
9回目 2009年10月 尼崎競艇場 第56回全日本選手権
10回目 2009年12月 住之江競艇場 第24回賞金王決定戦
11回目 2013年7月 若松競艇場 第18回オーシャンカップ
12回目 2014年3月 尼崎競艇場 第49回ボートレースクラシック(総理大臣杯)

 2021年現在、競艇選手の中で最も多くSGを優勝したのは17回の『野中和夫』選手です。

野中選手は、『モンスター』という異名を取る競艇界のレジェンド選手で、2009年に引退していますが、未だにその記録は塗り替えられていません。

松井選手の12回は、それに続き競艇選手の中で2番目に多いSG優勝回数になります。

ちなみに、絶対王者である松井選手にも苦手レースはあるのか、SG、G1問わず『江戸川競艇場』でだけは優勝したことはありません

今後、松井選手の自己記録の更新や、野中選手の記録を塗り替える選手が現れるのか楽しみにしておきましょう。

 

松井選手の生涯獲得賞金

次に、松井選手の生涯獲得賞金を見てみましょう。

松井選手は、2011年に公営競技史上初の生涯獲得賞金30億円を突破した記録を持っている人物であり、これだけを取ってみても物凄い選手ということが分かりますよね。

2021年現在、松井選手の生涯獲得年収は『約39億円』と言われていて、歴代競艇選手でもNo.1の金額です。

ちなみに、競艇選手の平均年収は約1,600万円と言われています。

松井選手が競艇選手の中でも名実共に、超一流のレーサーということが分かりますね。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『松井繁』選手について詳しく紹介してきました。

記事にもあった通り、『絶対王者』の異名に恥じることのない超一流の競艇選手ということが分かりますね。

生涯獲得賞金額やSGレースの優勝回数など、松井選手が保持する記録をどこまで伸ばしていくか楽しみにしている人も少なくないでしょう。

レースでの特徴など、松井選手が出場するレースを予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。