競艇の『吉川元浩選手』とは?成績、得意なレースまで徹底解説!

 

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ご存知の人も多いかと思いますが、『ゲンコー』という愛称で親しまれている、吉川元浩選手。

 

今回当記事では、『吉川元浩』について、競艇選手になるまでの道のりや、得意なレースまで詳しく紹介していきます。

 

吉川選手はボートレーサーの養成所を受験した時すでに22歳で、当時の年齢制限の上限で受験しています。

 

そして、デビュー時の年齢は24歳で、当時の競艇選手の中ではかなり高い年齢でのデビューとされています。

 

しかし、吉川選手はその年齢的なハンデを乗り越え、デビュー以降も競艇選手としての努力を決して怠ることなく、堅実に結果を積み重ねていくことになります。

 

吉川選手の競艇選手としてのデビューが、なぜ年齢的にハンデのあるタイミングからだったのか、なども記事中で詳しく紹介していきます。

 

それでは順に見ていきましょう。

 

吉川選手のプロフィール

吉川選手は兵庫県の出身で、兵庫支部に属しています。

 

・生年月日 1972年9月7日

 

・デビュー 1996年11月17日

 

と、生年月日とデビューの年を見ても、選手としてのスタートから年齢が高かったことが窺えます。

 

身長 164cm、体重 51kgと競艇選手としては平均的な体格をしていますが、24歳から競艇の世界に飛び込み、この体型を作っていくことにはかなりの努力があったことでしょう。

 

ちなみに、血液型は O型で、2020年現在では見事、競艇選手の中では1番グレードの高いクラスである、A1クラスの選手として登録されています。

 

吉川が競艇選手になったのは会社員からの転身だった

吉川選手は当時、在学していた兵庫県立兵庫工業高等学校卒業後、兵庫県内にある建築会社にて就職し、会社員として働いていたそうです。

 

吉川選手の人生に転機が訪れたきっかけは、当時会社員として働いていたときに発生してしまった大災害、阪神・淡路大震災でした。

 

1995年1月17日の早朝、最大震度7という大規模な地震が関西地方を襲いました。

 

結果的に、阪神・淡路大震災は6000人以上の死者を出し、日本においても歴史的な大災害になってしまいました。

 

吉川選手が当時住んでいた住宅も、その激しい揺れによって全壊、さらに職場も大きな被害を受けたとされています。

 

それまで会社員として安定した生活を送っていた吉川選手も例に漏れず、避難所での生活を余儀なくされました。

 

避難所での生活で、吉川選手は肉体的にも精神的にも追い詰められた状態になってしまったとされていますが、そんな中吉川選手が競艇選手になるきっかけが訪れます。

 

それは、『会社の同僚からの言葉』だったそうです。

 

当時、同災害で被災された会社の同僚に、競艇選手になることを勧められたことがきっかけで吉川選手は競艇選手を志すことになったのです。

 

死にものぐるいで掴み取った競艇選手として遅咲きのデビュー

当時勤めていた会社の同僚からの勧めにより競艇選手としての狭き門を進むこととなった吉川選手は、1995年に22歳という年齢でボートレーサー養成所に入所しました。

 

ボートレーサーの養成所は15歳から入所することができ、その殆どは10代で入所します。

 

22歳という年齢で入所した吉川選手は入所者としては年齢が高く、当時の年齢制限の上限年齢での入所となりました。

 

しかし、吉川選手は当時、年齢的なハンディキャップを乗り越えるため、死にものぐるいで相当な訓練を積んだと言われています。

 

そしてなんと、トップクラスの成績でボートレーサー養成所を卒業しました。

 

弛まぬ努力と、様々なことを背負った強い想いから競艇選手として念願のデビューを果たしたのです。

 

吉川選手は1996年11月17日、尼崎競艇場で開催されたデビュー戦では、見事に1着でのゴールを掴み取ります。

 

そしてさらに、デビューしてまだ間もない1997年4月に優勝戦への初出場まで果たしました。

 

このように、競艇選手として吉川選手のデビュー直後の勢いは凄まじいものでした。

 

しかし、現実は厳しく、その後の吉川選手を待ち構えていたものは途方もないような苦難の道でした。

 

デビューの勢いから一転、何年も続いた苦難の道

様々な苦難を乗り越えて、競艇選手としての華々しいデビューを果たし、最高の形でスタートしたと思えた吉川選手ですが、その道は決して簡単なものではありませんでした。

 

競艇選手であれば誰もが憧れ、挑戦してみたくなる大きな目標とされているもの、それは競艇界最高峰のレースであるSGへの出場、そして優勝です。

 

もちろん、吉川選手も全競艇選手の目標であるSGでの優勝を目指し、何度も何度もチャレンジし続けました。

 

しかし、何度挑戦しても栄冠を手にすることはできず、優勝戦には勝ち上がったものの、優勝することはできなかった経験もあるなど、悔しい思いをたくさん味わってきました。

 

そして、吉川選手のデビューから10年もの年月が経過します。

 

10年もの間、選手として奮闘し続け、厳しい練習に身を捧げて成長を続けた吉川選手の現状は、好転することはありませんでした。

 

しかし、吉川選手は決して諦めることをせずに、自身と競艇に対してのチャレンジを辞めることもしませんでした。

 

そして、デビューから11年もの年月が経過した2007年12月、ついにその時は訪れました。

 

数々の困難を乗り越え、涙のSG初優勝

 

写真元:https://www.nikkansports.com/public_race/news/201903220000293.html

吉川選手がデビューした1996年から11年後の2007年12月24日のクリスマスイブに福岡競艇場にて開催された第22回『賞金王決定戦』に悲願の初出場を果たしました。

 

そして吉川選手は順調に勝ち進み、実に8度目となるSG優勝戦へと駒を進めます。

 

そして最も、名誉とプレッシャーがのし掛かるとされる1番人気の中、ついにSGでの初優勝をその手に勝ち取ったのです。

 

吉川選手はそのレースが終わった後、涙を流したとされています。

 

そのあまりに美しく、あまりにもたくましい涙までデビューから実に11年。

 

自身と競艇に対してのチャレンジを決して諦めることなく、執念で勝ち取ったSG初優勝。

 

吉川選手がそれまで背追い込んでいた様々な想いが、涙となって溢れ出たそのシーンは数ある競艇のハイライトでも、最高の瞬間の1つとされています。

 

吉川選手のSG初優勝までの長く、苦しい道のりは、数々のテレビ番組などでも取り上げられ、競艇界の中でも話題になりました。

 

当然、吉川選手にしか分からないであろう困難な道のりであったと思いますが、諦めないことや、努力を続けること、チャレンジし続ける姿勢は多くの競艇ファンに夢を与えました。

 

様々な想いを背負って遅がけの競艇選手になった、吉川選手の競艇にかける想いは計り知れない程強く、大きなものなのでしょう。

 

吉川選手は、2019年3月21日、戸田競艇場において開催された平成最後となるSGの第54回総理大臣杯で見事2回目のSG優勝を果たしました。

 

さらに、同年5月26日に福岡競艇場で開催された、令和初となるSGの第46回笹川賞も制し、SG2連続優勝という快挙も果たしています。

 

吉川選手は2020年現在でも、獲得賞金が1億円を超えるなど、トップクラスの選手として走り続けています。

 

吉川選手のレーススタイルの特徴・得意なコース

 

写真元:https://mainichi.jp/articles/20200322/k00/00m/050/176000c

最後に、吉川選手のレーススタイルや得意なコースを見ていきましょう。

 

吉川選手の進入は基本的に枠なり進入で、どこの競艇場の、どのコースからでも1着が狙える実力があるとされています。

 

吉川選手の平均スタートのタイミングは0,15でSGクラスの選手としては平均的なタイミングとなっています。

 

しかし、6コースに入った時には0,11とタイミングが早くなることから、アウトコースからのスタートを得意としているようです。

 

ハイレベルなレースでも、十分に舟券に絡む可能性があるので、予想する上でも常に注目しておきたい選手ですね。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の吉川選手について詳しくは紹介してきました。

 

記事中でも紹介してきましたが、吉川選手は数々の逆境を乗り越えながら活躍を続け、競艇ファンに夢を与え続けてくれている選手の一人です。

 

競艇に限らず、どんな時でも吉川選手のような強い気持ちはぜひ、見習いたいところですよね。

 

どこまで獲得賞金額を伸ばせるかなど、今後の吉川選手にも注目ですね。

競艇に八百長は存在する!?八百長疑惑の実態

長年にわたり、国民に愛され続いている公営ギャンブルの1つである競艇。

 

実は、ボートを人が操縦するという特性もあり、昔から『八百長疑惑』がつきものなんです。

 

競艇はあくまでもギャンブルなので、観客がお金を賭けることで運営されています。

 

お金を賭けている以上、本当に八百長は行われているか、当然、気になるところですよね。

 

今回当記事では、競艇における八百長について詳しく見ていきたいと思います。

 

競艇における八百長は存在する!?

 

競艇だけではなく、他のギャンブルでもそうですが、ギャンブルには昔から『八百長疑惑』がつきものとされていますが結論から言うと、競艇の世界でも、過去に八百長は発覚しています。

 

韓国の競艇でも実際に八百長が発覚したなどありましたが、国内では、2020年の1月に「西川昌希」元選手が八百長をして捕まった事は大きな話題となりました。

 

しかし、こちらはとても稀なケースで実際に八百長はほとんど行われておらず、舟券を購入する際にも気にする必要は無いとされています。

 

その最大の理由として、日本の競艇の市場規模はとても大きく、他のスポーツと比べても選手の待遇が良いことが挙げられます。

 

つまり、日本の競艇で八百長するメリットがあまりないと言うことになります。

 

競艇における過去の八百長事例

・西川昌希元選手の八百長

先程も触れましたが、2020年1月に、「西川昌希」という元選手が逮捕されました。

 

その内容として、2019年7月2日のびわこ競艇場でのレースで、協力者である親戚と八百長を行い、現金300万円を受け取ったと朝日新聞など各社が報じています。

 

さらに、その後の調査で、その他のレースでも八百長を行っていたことも発覚し、名古屋地裁から2020年10月21日に、懲役3年、追徴3725万円の判決が言い渡されました。

 

・江戸川競艇場で職員が舟券を大量購入

こちらはかなり過去の事例ですが、江戸川競艇場の職員が、1982年から1984年の2年間にわたり、舟券発売を締め切った後に関係者幹部の指示のもと、的中するであろ舟券を大量に発行していたという、競艇場関係者が行った八百長の事例です。

 

その2年の間に、約2200万円もの大金を不正に得ていたということで、当時大問題になりました。

 

江戸川競艇場はこの事件を受け、約3ヶ月半の間自粛を行っていますが、多くの競艇ファンに対する裏切り行為で許されることではありません。

 

レースに対する八百長というよりは、競艇のシステムの盲点をつき、配当金を不正に受け取るという詐欺のような案件でした。

 

現在はこのようなことが再発しないよう、システムも見直され、全国的に対策されています。

 

八百長した時の選手のデメリットは?

当然の話ですが、選手が八百長を行わないように、競艇では「モーターボート競走法」という法律のもと、厳しい規定が定められています。

 

※競走の選手が、その競走に関して賄賂ろを収受し、又はこれを要求し、若しくは約束したときは、三年以下の懲役に処する。よつて不正の行為をし、又は相当の行為をしなかつたときは、五年以下の懲役に処する。

 

※以上、「モーターボート」競走法より引用

 

上記は、法律として定められているので当然、警察に逮捕される可能性が高いといえます。

 

八百長の約束をしただけで3年以下の懲役刑になることから、かなり厳しいことがわかります。

 

また、競艇選手にはレース前日の「前検日」という日に身体検査や私物検査を受けなければいけないという規定が存在し、この時に自身の携帯電話を含む、全ての通信機器を競艇場に預けなればいけません。

 

過去には電子手帳などの通信機器を持ち込んで、1年間出場停止になった選手の事例もあります。

 

このように、現在ではかなり厳しい規定が制定されており、八百長を行う際のデメリットはかなり大きいと言えるでしょう。

 

競艇はレースで結果を出した時のメリットの方が大きい

 

八百長はほとんどの場合、裏社会の人間などの協力者から、見返りとしてのお金などの報酬を受け取ることで成立します。

 

当然、八百長を行えば、見返りを受け取ることと引き換えに前記したように法律で罰せられ、競艇の世界にも戻ってこれません。

 

競艇選手の年収は、平均で約1600万円といわれていて、A2ランク以上の選手になれば、平均で約1800万円以上とされています。

 

競艇では1番低いランクの、B2ランクの選手でも平均で約500万円といわれています。

 

競艇で八百長が行われる場合には、レースに有利な選手がわざと負けなければ成立しません。

 

競艇では、勝率によって半年毎にランクの見直しが行われていて、八百長に加担して負けが続けば、自分のランクも下がってしまいますし、発覚した場合は当然、永久追放されます。

 

1回の見返りで数百万円のお金が手に入ったとしても、競艇選手として奮闘し、安定した成績をあげたほうがはるかにメリットが高いことがわかります。

 

八百長するとレースのオッズが不自然になる!?

2020年現在では、インターネット投票の普及もあり、舟券の売上率があがっていますが、会場数が多いことや、開催頻度が高いことなどから1レースあたりの売り上げは少ないとされています。

 

八百長を行う場合、協力者の取り分と、選手への見返りのお金が必要になります。

 

その為、八百長して的中させる舟券も、それに相当する金額分購入しなければ成立しません。

 

しかし、競艇は1レースあたりの売上が少ないことから、大量に舟券を購入すると、オッズが下がってしまうという特性があります。

 

その為、八百長をすれば不自然なオッズになってしまうので、八百長が成立しにくい環境といえるでしょう。

 

もちろん、重賞になれば舟券の売上も上がるのですが、重賞ではそれに応じた賞金も用意されます。

 

年末に開催される競艇最大の重賞とされている『賞金王決定戦』の優勝賞金は、1億円です。

 

選手からしてみても、リスクを犯して八百長に加担するよりも、正々堂々と勝負して優勝を狙う方が当然、見返りも大きいといえるでしょう。

 

レース中に身内同士でのサポートは行われている

事前に打ち合わせなどが行われることはありませんが、競艇では同じ地元の選手などを、サポートするような展開になる場合があります。

 

親しい先輩が2番手で走っていて、自分は3番手以下の場合などは、無理にレースに食い込むよりも、後続をブロックするように走り、先輩が勝てるようにサポートする、といったようなことです。

 

このようなことは事実として行われていますが、レースの規定上、違反ではありません。

 

仲間同士での無駄な闘いをするならば、展開によってお互いサポートする方が、長期的にみてメリットがあるということです。

 

近年ではSNSの普及から、サポートしたことをYouTubeなどで拡散され炎上してしまう、というようなこともある為、仲間同士でも最後まで全力で闘うケースも増えています。

 

選手としても最初から勝ちを譲ろうとしているわけではないので、あくまでもレース展開での状況判断でサポートしているだけといえるでしょう。

 

反対に、選手の特性を理解している仲間同士だからこそわかる隙をつき、1着を狙いにいくレース展開もあります。

 

競艇では、このような選手同士の人間関係を予想材料にする人も少なくありません。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の八百長の事例などデメリットについて詳しく紹介してきました。

 

国内の競艇においても、過去には少なからず八百長が存在してきました。

 

しかし、過去の事例が発覚して競艇の公式サイトで「不正行為に関する再発防止策について」というお知らせがだされるなど、現在では八百長に関する対策も進められています。

 

その為、競艇を予想する上で過度に八百長を気にする必要はありませんが、同じようなことが今後おこならないことに期待したいですね。

競艇の「峰竜太」選手ってどんな人!?実力や魅力、強さの秘訣まで徹底解説

 

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ご存知の方も多いかと思いますが、今回当記事では、競艇の『峰竜太』選手について紹介していきたいと思います。

 

峰選手が競艇選手になったきっかけや、デビューしてからの成績、SG優勝など、詳しく見ていきましょう。

 

峰選手は、1985年3月30日生まれで佐賀県の唐津市出身、佐賀支部所属の競艇選手です。

 

身長は174cmとやや大きめで、体重は50kgとあり、この体型を維持するのには、きっと並々ならぬ努力をされているのでしょう。

 

ルックスもよく、涙もろいなど特徴的な峰選手には、老若男女問わず大勢のファンがいて、近年の競艇ブームのきっかけとなっている1人です。

 

峰選手の特徴や強さの秘訣まで徹底的に見ていくのでぜひ、今後の予想の参考にしてみてくださいね。

 

峰竜太選手が競艇選手になるまで

峰選手は高校時代にヨット部に所属していそうで、その高校のヨット部の実力は全国的に有名で、峰選手自体も国体に出場した経験があるほどで、当時からその実力が窺えたそうです。

 

峰選手が競艇選手になったきっかけはそのボート部時代の経験にもあるようで、その後自身では、『ボートレースの迫力に感動したから』ときっかけを語っていました。

 

峰選手は以前に、『目標はボートレースオールスターのドリーム戦1号艇に乗ることです』と、発言したことがあります。

 

そして、その言葉通りに2018年の5月22日に第45回ボートレースオールスタードリーム戦競走にてファン投票1位を獲得し、宣言通りに1号での出場を果たしました。

 

さらに、そのレースでは見事に1着でゴールしています。

 

発言した目標を先月通りに達成するところが男らしいですね。しかし、その笑顔の影では相当な努力をしているはずです。

 

峰選手の次の目標も気になりますね。

 

デビューしてからすぐに頭角を現す

峰選手は2004年11月10日に唐津競艇場でデビューを果たし、その後間もなく、12月30日に現在でも得意とされる決まり手の『まくり』で見事勝利を収めています。

 

それから1年後の2005年12月6日に九州スポーツ杯争奪唐津くんち特選にて初優勝を勝ち取り、さらにその翌年には最優秀新人選手として表彰されています。

 

デビューしてすぐに、その実力を発揮し、知名度や人気を伸ばし続け、さらには初優勝が峰選手の地元というところでも当時から話題性の高い選手だったことが窺えます。

 

整備規則違反での出場停止

 

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峰選手はその後も順調に成長し続けます。

 

2007年には、地元である唐津の『G1全日本王者決定戦』に、G1初出場を果たしました。

 

その出場をきっかけに、峰選手の勢いがさらに増していき、同年にSG初出場を果たしました。

 

2009年1月に芦屋競艇場で開催された『第55回九州地区選手権』にて、ついにG1初優勝を勝ち取り、そのままの快進撃を続けていくと言われておりましたが、同年3月に整備規程違反をしてしまい、1ヶ月の出場停止となりました。

 

さらに、規定により1年間SG、G1の出場権を奪われてしまうこととなりました。

 

競艇の整備規程では、選手は他の選手のプロペラやモーターの整備を手伝ってはいけないのですが、この時峰選手は他の選手の整備を手伝ってしまったのです。

 

その為、規程上のペナルティを受けることとなりました。

 

このことにより、出場権を得られず、大きなタイトルに出場できなかったものの、毎年必ず優勝を勝ち取り続いてついに、2011年5月に笹川賞でSG初優出を果たします。

 

ここからも峰選手の勢いはとどまることはなく、着々と優勝を重ね、G1タイトルを積み重ねていきますが、峰選手といえど、SGのタイトルを得ることはなかなかできませんでした。

 

この時期には、峰選手本人も『死を覚悟した』と発言する程の大事故になりそうなシーンがありましたが、他選手のとっさの機転により、無事にすんだという事もありました。

 

そしてついにSG初優勝を果たす

出場停止や大事故の危機を乗り越え、ついに、2017年7月に丸亀競艇場で開催されて『第22回 オーシャンカップ』で初めてのSG優勝を果たしました。

 

冒頭にも少し書かせてもらいましたが、峰選手は涙もろく、勝っても負けても泣くことからファンの間では『泣き虫王子』と呼ばれています。

 

初めてSGで優勝したその時も泣き虫王子っぷりが窺えましたが、レースの途中ですでに涙を流していたようです。

 

その時の様子を自身でも、『2周目から数え始めた。泣かないようにと思えば思うほど、3周目をまわっているとき、いろいろ思い出して』

と、峰選手らしい発言をされています。

 

峰竜太選手のレース時の特徴と強さの秘訣

 

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峰選手のレース時の大きな特徴として、平均スタートのタイミングが0,13と非常に早いことなどが挙げられます。

 

スタートのタイミングこれだけ早ければ、どのコースからでも1着が狙える可能性が増えるので、峰選手の強みの1つといえます。

 

スタートしてからの艇を扱うスキルの高さや、道中での追い上げスピードから見てもボートの扱いに加えて、ボートの調整力の高さもトップクラスの高さもと言えるでしょう。

 

峰選手のレース展開は、基本的に枠なり進入が多いのですが、チャンスさえあればインコースを狙うなど、臨機応変なターンができることも峰選手の強さの秘訣といえます。

 

1コースに入れば他を寄せ付けない強さの、『逃げ』にてほぼ勝利収める一方で、他コースからでも見事な『まくり』決めたり、さらに高い技術を必要とする『差し』や『まくり差し』も得意とされています。

 

峰選手の特徴として、闘争心が強く、常に勝利を狙っていく気持ちの強さが挙げられます。

 

どのコースからでも『絶対に勝つ』という気持ちを強く持つことが、常に自身の実力を発揮する秘訣かもしれませんね。

 

峰選手の驚異的な勝率!

峰選手は競艇選手の中でもトップクラスの勝率をあげていて、その数字は驚異的なものになります。

 

競艇選手はフライングなどをせず、1年間休みなく走り続けたとしても、約30節しか出場することはできません。

 

そして峰選手はその内の約半分で優勝を勝ち取っているのですが、そのあたりも峰選手の驚くべき勝率の高さが窺えるポイントと言えるでしょう。

 

そして、その勝率が2015年には8,59にまでなり、2017年までの3年もの間、ナンバーワンの勝率を保ち続けました。

 

峰選手は、コースに関係なく高着順を狙える選手という稀な選手で、これは予想する際にかなり大きな要素となります。

 

峰選手の1コースの勝率は91%超と驚異的な数字を記録しており、3連対率では77%超と出走しているレースであれば、間違いなく舟券から外せない存在と言えるでしょう。

 

峰選手のレーススタイルの特徴として、あまりサイドに力を掛けずにターンするということが挙げられますが、多くの選手はこの方法を取りません。

 

峰選手はこのターン方法を取るようにしてから、戦績がかなり上がったとされています。

 

このターン技術には、高校時代のヨット部での経験が活きているそうで、きっかけとなった部活動の経験も勝率に繋がっていると言えるでしょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇界の『泣き虫王子』こと峰竜太選手について詳しく紹介してきました。

 

記事中でも紹介してきましたが、高校時代の部活動から第一線で活躍し続ける峰選手にも、出場停止期間や大事故の危機などのピンチが存在しました。

 

そのピンチも見事に乗り越え、現在のような華々しい成績を飾り続けているというところにも、峰選手の競艇への気持ちの強さを感じます。

 

今後の峰竜太選手からも目が離せませんね。

競艇の『毒島誠』選手とは?強さや特徴、毒島選手が強いレースの条件まで徹底解説

 

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全国でもトップクラスの技術を持ち、SGを4勝するなど、名実ともにトップクラスの選手を分類される毒島選手。

 

今回当記事では、競艇の『毒島誠』選手について、レース時の特徴や獲得賞金など、詳しく紹介していきます。

 

毒島選手は2003年5月9日にデビューを飾った群馬県桐生市出身のトップレーサーで、群馬支部に所属しています。

 

ナイトレースにめっぽう強く、『夜の王者』などの異名を持つ毒島選手ですが、デイレースには強くない、というわけではありません。

 

それでは、毒島選手がどのような選手か詳しく見ていきますので、ぜひ、予想する時の参考にしてみてくださいね。

 

競艇選手を目指したきっかけ、選手としての目標は?

毒島選手は学生時代にはサッカーをしていて、市の選抜に選ばれ優秀賞を獲得するなど、元々運動神経が高かった事が窺えます。

 

毒島選手の地元にある桐生競艇場でレースを見たことがきっかけで『自分もボートに乗ってレースをして勝ちたい』と思ったそうです。

 

そして、毒島選手の身長は163cmとスポーツ選手の中では小柄な方です。

 

競艇は小柄な選手が有利とされていて、体格が競艇選手向きだったことも理由の1つとされています。

 

毒島選手の競艇選手としての目標は、『常に一流、一級で勝ち続けられる選手』、『賞金王になること』言われていて、第一線で活躍し続いている点では有言実行と言って良いでしょう。

 

もう一方の賞金王になると言う目標は、2019年、2020年とともに、賞金ランキング2位と、目標まであと一歩のところで惜しくも達成できませんでした。

 

今後、毒島選手が賞金王になることに期待しましょう。

 

毒島選手のレースの特徴と得意なコース

続いて、毒島誠選手のレースの特徴と得意なコースを見ていきましょう。

 

毒島選手は『スーパーピット離れ』を得意とする数少ない選手の中の1人です。

 

競艇におけるピットとは、水面上におけるボートの待機場所のことを指し、待機場所であるピットから、スタートの合図とともに発進することを『ピット離れ』といいます。

 

ピット離れという技術は、レースにおいてとても重要とされていて、進入コースが決まるのもピット離れ次第と言われています。

 

そして、スーパーピット離れという技術は、モーターやプロペラの整備からレース本番まで、極限までピット離れを追求し、インコースを狙うことを指し、うまく決めるにはかなり高度な技術が必要となるでしょう。

 

不利な6号艇だとしても、ピット離れ次第では他の艇の前に出られるので、インコースをとることも可能になります。

 

毒島誠選手はこの、「スーパーピット離れ」を得意としていて、インコース奪取率が高いことでもファンを魅了しているのですが、さらに、トップクラスのスピードの選手とされていて、ファンの間では毒島選手の全速ツケマイはレースの見どころとされています。

 

続いて毒島選手の得意なコースも見ていきましょう。

 

毒島誠選手は枠なり進入を得意として、どのコースからでも1着を狙うことができる選手といわれています。

 

また、平均のスタートタイミングは0,15と、SGクラスの選手では平均的なタイムです。

 

しかし毒島選手は、スタートしてからの追い上げやレース運びでもかなり評価が高く、どのコースからも1着が狙えることや、レース中盤からの追い上げる実力の高さからかなりの確率で3着以内に入ってきます。

 

毒島選手の出場するレースを予想する際には、外せない存在と言えるでしょう。

 

毒島選手の『全速ツケマイ』に注目!

先ほどでも少し触れましたが、毒島選手の魅力を語る上でこの、『ツケマイ』という技は外すことはできない特徴でしょう。

 

ツケマイは全部で6種類ある決まり手の中でも、最も高度な技術が必要になる決まり手とされています。

 

ツケマイとは、ターンする際に内側の艇とピッタリと並んで走ることで、内側の艇にプレッシャーを与えながら抜き去る高度な技術のことで、毒島選手はこのツケマイを駆使して、2周目、3周目でも逆転することが多く見受けられます。

 

この勝ち方は数多く存在する競艇選手でも、成功できるのは一握りの選手とされていて、まさにトップクラスの選手だからこそできる勝ち方と言えるでしょう。

 

毒島選手が『夜の王者』のと呼ばれる所以とは?

 

常に第一線で活躍し続ける毒島選手は、これまでに競艇界で1番グレードの高いレースであるSGで6回の優勝経験があります。

 

競艇選手は1度でもSGで優勝できれば一流の選手、と言われるほどSGで優勝することは難しいとされています。

 

そのSGで6回も優勝している毒島選手の実力は、まさに超一流と言えるでしょう。

 

そして、その6回のレース内、5回がナイター開催のナイトレースで、このことから毒島選手は『夜の王者』といわれています。

 

そして、2019年の10月27日に児島競艇場にて行われた、第66回ボートレースダービーで手にした6回目の優勝で、毒島誠選手は満を辞してデイゲームでの優勝を見事に果たし、喜びの涙を流したとされています。

 

毒島選手の気になる獲得賞金は?

競艇選手は、レースに勝利することで得ることのできる『賞金』が主な収入になる為、レースの結果がそのまま収入に表れます。

 

SGでの優勝が6回など、毒島選手の競艇選手としての凄まじいまでの勢いを考えるとこれまでの獲得賞金額もすごい金額になっていそうですよね。

 

毒島選手は現在、全競艇選手の獲得賞金額がカウントされる、『選手獲得賞金ランキング』で、2年連続2位と驚異的な結果を残しています。

 

2019年 1億7,941万9,000円

 

2020年 1億3,160万9,000円

 

(集計期間:2020年1月1日から2020年11月29日)

 

獲得賞金額 引用元:https://www.boatrace.jp/owsp/sp/site/news/2020/11/12223/

 

毒島選手は、2019年の第66回ボートレースダービーでの6回目のSG優勝で3,900万円の賞金を獲得したことで、生涯獲得賞金額が10億円を超えたとされています。

 

獲得賞金額から見ても、毒島選手が超一流の選手であることが分かりますね。

 

紺綬褒章の受章

 

写真元:https://www.google.co.jp/amp/s/www.nikkansports.com/m/general/nikkan/news/amp/202009010000862.html

 

毒島選手は競艇選手として獲得した賞金の一部を被災地のために寄付し続け、2020年9月に日本財団で行われた受章式にて、紺綬褒章を受章しています。

 

紺綬褒章とは公益のため私財を寄付し、功績が顕著な個人や団体に対し、内閣の助言と承認のもと天皇陛下から授与されます。

 

また、受章時には、

 

「大きな自然災害が発生するたびに心を痛め、被災された方へ何ができるだろうと考えました。今後も皆さまに元気をお届けできるようなレースをしていきたいと思います」

 

と発言していて、競艇を通して自身ができることを考え、行動している点でも超一流の素晴らしい選手と言えるでしょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の毒島選手について詳しく紹介してきました。

 

毒島選手のレーススタイルや、得意なコースなど、ぜひ、予想する際の参考にしてみてください。

 

記事中で紹介した、獲得賞金額もどこまで伸ばせるのかも注目ですね。

 

すでに現状でも話題性のある選手ですが、今後も毒島選手のご活躍を期待したいですね。

競艇の守屋美穂選手ってどんな人?レーススタイル、獲得賞金額まで徹底解説!!

 

写真元:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/profile?toban=4482

知っている方も多いかと思いますが、今回当記事では、岡山のヴィーナスとも称されている、美人競艇選手の守屋美穂選手について紹介しています。

 

守屋選手は学生時代に地元香川県から岡山県に引っ越ししており、岡山県の高校で重量挙げの選手として活躍していました。

 

2006年に行われている、全国高等学校女子ウエイトリフティング競技選手権大会で優勝

しているほどの実力で、現在でも『怪力美人レーサー』の愛称でも親しまれています。

 

もちろん守屋選手は、怪力自慢というだけではなく、競艇選手としても才能を発揮して活躍している選手です。

 

守屋選手のレーススタイルの特徴や獲得賞金額まで徹底的に見ていくのでぜひ、今後の予想の参考にしてみてくださいね。

競艇選手を目指したきっかけとは?

 

守屋選手が競艇選手を目指したきっかけは父親に勧められたからと言われています。

 

競艇選手の間ではよく耳にする話ですが、守屋選手も幼少期に父親に連れられ、何度か競艇場までレースを見に行っていたそうです。

 

その時はあまり興味を持たなかったそうですが、ある日ボートの試乗会で実際に選手のボートに乗せてもらった時におもしろいと感じ、その後は積極的にイベントなどでボートに乗せてもらっていたと言われています。

 

守屋選手は高校に入学した時点で、すでに競艇選手になれたらいいなと思うほど、競艇への意識は高かったそうです。

 

中学生のときは、腕立て伏せの一回もできなかった、一般的な女の子だったようで、後に全国大会で優勝する、ウェイトリフティング部に入学したのも競艇選手になるための筋トレになればと思い、入部したと言われています。

実は兄妹で競艇選手!?お兄さんは?

実は守屋美穂選手のお兄さんである、守屋大地選手も競艇選手で、兄妹で現役の競艇選手ということになります。

 

競艇選手としてのキャリアは妹の美穂さんのほうが長く、妹が競艇選手として活躍している姿をみて、兄の大地さんも競艇選手になる決意したそうです。

 

兄である、守屋大地選手は競艇選手になるにあたり、年齢制限や視力が大きなネックになっていたとされていますが、年齢制限の規定が変更されるタイミングも味方し、本人の努力や、妹である守屋美穂選手の影響で競艇選手になったとされています。

 

当時から守屋美穂選手は、実のお兄さんである守谷大地選手にも影響を与えるような活躍をされていたと言えますね。

守屋選手の初勝利は?

 

写真元:https://www.nikkansports.com/public_race/news/202008090000622.html

守屋選手はボートレーサー養成所時代に行われたリーグ戦の第1戦で優勝し、卒業記念競走の優勝戦で3着に入るという好成績を残しています。

 

養成所時代から成績がよく、競艇選手として、デビュー前から注目されるほどで、当時から実力のあった選手と言えるでしょう。

 

守屋選手は2007年11月20日に尼崎競艇場でデビューを果たしますが、デビュー戦の成績は6コースからの出走ということもあり、6着でした。

 

しかし同年12月29日にびわこ競艇場にて行われた一般戦で見事、初勝利を掴み取ります。

 

この勝利はデビューから22走目での初勝利であり、これは他の競艇選手と比べるとかなり早い段階での勝利といえます。

 

初優勝、その後の成績

2009年5月14日、徳山競艇場で初めての優出を果たし、レースの結果は5着でした。

 

その後も勢いは衰えることなく、守屋選手の快進撃は続きます。

 

デビューしてから5年後の2012年2月28には、多摩川競艇場で開催された『G1第25回女子王座決定戦競走』でG1初出場を果たします。

 

同年8月2日、若松競艇場で開催された『G1第26回女子王座決定戦競走』では、3日目の10Rで見事1着でのゴールを勝ち取り、G1初勝利を飾りました。

 

守谷選手は過去に結婚していて、2015年には産休に入りますが、2016年には復帰し、地元である児島競艇場で開催された女子戦でも優勝を決め、産休でのブランクも感じさせませんでした。

 

そして、2018年11月に芦屋競艇場で開催された『GⅡ第5回レディースチャレンジカップ』では、初日からの好成績をキープして優勝戦での1枠を手に入れ、GⅡ初優勝を飾ると同時に3度目のクイーンズクライマックスの出場も手中にします。

 

2019年7月には、芦屋競艇場で開催された『GⅡモーターボート大賞競走』で自身初となる男女混合競走での優勝を決めました。

 

このことから見ても、男性の選手と比べても守屋選手の実力が高いことがわかりますね。

 

2020年1月に江戸川競艇場で開催された『GⅢオールレディース江戸川女王決定戦 KIRINCUP』では、自身の31歳のバースデーに見事、優勝を掴み取り話題になりました。

 

守屋選手のレーススタイルの特徴、得意なコースは?

 

写真元:https://www.nikkansports.com/public_race/photonews/photonews_nsInc_202008080000610-1.html

続いて、守谷選手のレーススタイルと得意なコースも見ていきましょう。

 

守屋選手のレーススタイルの特徴として、1コースで出走するときの驚異的な強さが挙げられます。

 

2019年の成績を見てみると、1コースで出走したときの1着率がなんと、80%を超えていることがわかります。

 

女子選手として見ても、競艇選手全員で見ても、かなり優秀な成績と言えるでしょう。

 

また、守屋選手の進入コースは基本的に枠なり進入ですが、機会があれば少しでもインコースを狙うように動いていることから、やはりインコースが得意なことがわかります。

 

出来るだけ早くスタートを切って、1マーク先マイで逃げ切ることが、1コースでの代表的な戦い方です。

 

しかし、守屋選手の平均のスタートタイミングは0,17とトップクラスの選手の中では決して早い方ではありません。

 

過去の平均のスタートタイミングを見ても、守屋選手は慎重にスタートを切ることがわかりますが、できる限りの全速で合わせる『スタートの質』と、1マークでの『ターンの技術』でカバーして勝利を量産していると言えるでしょう。

 

また、2~4コースで出走するときの3連対率も50%を上回り、最も不利とされる6コースからでも30%超えを記録するなどレース道中の安定的な捌きも魅力の1つとされていて、予想する上で舟券から外すことはできない選手と言えます。

 

インコース戦で安定的に勝利を獲得し、アウトコース戦では着実に連対をキープするという、節間での総合力に長けた戦い方ができるのも守屋選手の強みですね。

 

守谷選手の獲得賞金額は?

ここまでの記事にもあったように、守屋選手は女子選手として第1線で活躍しているトップレーサーの1人です。

 

当然、獲得賞金の方も気になりますよね。

 

それでは、ここ3年の獲得賞金を順を追って見ていきましょう。

 

2018年3,385万5,679円(第7位)

 

2019年4,434万1,072円 (第4位)

 

2020年4,485万円(第1位 12月19日時点)

 

守屋選手は2020年の12月19日時点で女子戦賞金ランキング第1位となっており、名実ともに競艇クイーンの栄冠を手にしています。

 

賞金女王や今後の活躍など、どこまで獲得賞金額を伸ばしていけるかも楽しみですね。

 

まとめ

今回当記事では、『怪力美人レーサー』の守屋美穂選手について詳しく紹介してきました。

 

デビューしてからトップレーサーといわれる現在まで、変わらぬ勢いで快進撃を続けているのは、守屋選手の努力の賜物と言えるでしょう。

 

今回の記事にあったレーススタイルや得意なコースなど、ぜひ、予想の参考にしてみてくださいね。

競艇の平山智加選ってどんな人?レース時の特徴、獲得賞金まで徹底解説!!

 

写真元:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/profile?toban=4387

ご存じの方も多いかと思いますが、今回当記事では最強の美人ママレーサーとも言われている平山智加選手について詳しく紹介していきます。

 

レース以外でも、最近では競艇界を盛り上げる為にYouTubeを配信する、YouTuberとしても活躍していて話題となっています。

 

もちろん、選手としても男性選手に引けを取らないほどの実力を持っていて、競艇選手としても第1線で活躍し続けているトップクラスの選手の1人と言えるでしょう。

 

それでは、平山選手のレーススタイルの特徴や獲得賞金額まで徹底的に見ていくのでぜひ、今後の予想の参考にしてみてくださいね。

平山選手の学生時代

平山選手は香川県の出身で、丸亀市という場所で生まれ育ったといわれています。

 

平山選手は学生時代にバスケットボール部に所属していて、持ち前の運動神経で学生時代から活躍していたそうです。

 

平山選手の通っていた高校は、高松市亀岡町にある『私立英明高等学校』という男女共学校で、全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会女子に17回も出場するほどの超強豪校でした。

 

そのような実績のあるバスケットボール部で、司令塔であるポイントガードとして、インターハイや国体など、全国の舞台で活躍していたそうです。

 

競艇選手になってからも、母校である英明高校に訪問して校長先生と話すなど、今でも高校時代の思い出を大切にしているところが窺えます。

平山選手がボートレーサーを目指したきっかけ

続いて、学生時代にバスケットボールに精を出していた平山選手がなぜ競艇選手という職業を目指したのかを見ていきましょう。

 

平山選手は、高校3年のとき就職に悩んでいたそうです。

 

そんな時に、父親から「やりたいことがないんだったら、ボートレーサーはどうか?」と、言われたことがきっかけで競艇選手を志すようになりました。

 

父親が娘に競艇選手への道を勧めることは珍しいと思いますが、実際にトップクラスの選手として活躍しているので、平山選手を見る目に間違いはなかったということでしょう。

その後、平山選手は無事にボートレーサーの養成所へ進み、厳しい訓練に耐え抜いて卒業、見事競艇選手への道へと進み始めました。

 

前記したように「やりたいことがないんだったら、ボートレーサーはどうか?」という、父親からの一言が競艇選手になるきっかけといわれていますが、平山選手の父親が、平山選手に競艇選手を勧めたのは自身が競艇好きだったという理由ともう1つ、ある出来事がずっと心に引っかかっていたからだそうなんです。

 

『ある出来事』というは、平山選手が中学生の頃に近所の本格的なゴーカート乗り場で、初めてゴーカートに乗った時のタイムが驚異的だったから、という理由です。

 

そのゴーカート乗り場ではタイムまできっちり測ってもらえて、毎日出勤していた従業員の方も、その最初から出せるはずのないタイムには非常に驚きました。

 

もともと運転が好きだったという平山選手には、当時からレーサーとしての才能があり、そのことにいち早く気付いた父親は『娘にはその才能があるかも知れない』ということが、ずっと心に引っかかっていたようですね。

 

養成所時代にもリーグ戦勝率6.42(優出4回)の好成績を残し、卒業記念競走の優勝戦では2着に入るという活躍ぶりだったそうです。

平山選手はデビュー時から注目を集めていた

 

写真元:https://www.chunichi.co.jp/article/102782

2006年の5月に丸亀競艇場で開催された一般戦で平山選手はデビューします。

 

平山選手はデビュー当時から注目されていて、「すごい女性レーサーが現れた」と、デビュー戦も話題となっていました。

 

デビュー戦の結果は5着でしたが、デビューからちょうど2年後の2008年5月に地元丸亀競艇場でのデビュー4走目で、早くもG1初勝利を飾ることとなります。

 

その勝ち方にもインパクトがあり、格上の選手のイン逃げが決まったと思われていたところを3周目まで追いかけまわし、逆転しての初優勝でした。

 

このような勝ち方は当時からとても珍しく、その後の活躍を予見させるような勝ち方と言えるでしょう。

 

平山選手はデビュー期でB1昇格をきめたこともあって「10年に1人の逸材」と大きな注目を集めていました。

平山選手のレースの実績と特徴

 

写真元:https://www.asahi.com/articles/photo/AS20160928002831.html

続いて平山選手の実績と勝率や連対率について詳しく見ていきましょう。

 

デビュー当時から10年に1人の選手とも噂され話題に欠くことがなかった平山選手ですが、その噂通りに活躍を重ねていくこととなります。

 

特に平山選手が注目を集めたレースは、平山選手がデビュー7年目の2013年の男女混合戦優勝でした。

 

男女混合戦での女性レーサー優勝は、なんと14年ぶりの快挙でした。

 

このことから混合戦でも舟券から外せない選手となり、いつ、いかなる時も注目されるトップクラスの選手となりました。

 

平山選手は、基本的に枠なり進入でレースを進めていきますが、チャンスがあれば少しでもインコースに入ってきますが6号艇から1コースを狙うような強引な前づけをすることはみられません。

 

女子リーグ戦においては常に有名候補とされており、どのコースでも連に絡んでくる可能性が高いので、女子リーグ戦では特に舟券から外す事はできないですね。

 

2019年は産休明けで出走回数が例年より少なかったのですが、平山選手のレースの特徴を勝率や連対率で見ていきましょう。

 

1コースでは、1着率82%と驚異的な数字です。

 

2コース、4コースでも約25%の1着率を残しています。

 

3コースからの1着率は約33%と、男子のトップレーサーも顔負けの数字を残しています。

 

2〜4コースの3連対率も70〜80%という、高い数字を残し、インコースからセンターの安定が光っていますね。

 

平山選手はアウトコースからでも舟券に絡んでいけるという特徴があります。

 

5コースでは1着こそありませんでしたが、3連対率で見てみると約52%、最も不利とされている6コースからでは1着率が約23%、3連対率でも約46%と驚異的な数字を残しています。

 

平山選手は道中での艇捌きの巧さも兼ね備えていると言われており、この数字の高さも納得ですね。

 

平山選手はスタートだけ見ればどのコースからでも0,16~、0,21と特別早くはありませんが、遅れるようなスタートでもなく、平均的なスタートといえます。

 

それでも勝率や連対率が高いのは、平山選手の実力が高いことを証明していますね。

 

競艇場別に見ても特別に苦手そうな競艇場もなく、地元の丸亀競艇場では断トツの出場回数で、安定感のあるレース展開が見ることができます。

 

平山選手の獲得賞金額は?

ここまでの記事にもあったように、平山選手は女子選手として第1線で活躍しているトップレーサーの1人です。

 

当然、獲得賞金の方も気になりますよね。

 

それでは、2014年からの獲得賞金額を順に見ていきましょう。

 

2014年3,268万円

2015年2,388万円

2016年3,092万円

2017年(産休期間)

2018年(産休期間)

2019年1,488万円

2020年4,069万円(11月29日時点)

 

2019年は産休明けで少し出走回数が少なかったですが、これから獲得賞金額をどこまで

伸ばしていけるか楽しみですね。

 

平山選手は夫婦で競艇選手

 

平山選手は2008年に同じく競艇選手の福田雅一選手と結婚しています。

 

福田選手は1968年10月、平山選手は1985年7月生まれなので、17歳差の年の差婚で、大きな話題になりました。

 

年上で同支部の大先輩ということもあり、福田選手には大きな信頼をしているようで「見習う部分が多く、尊敬する先輩です」と、自身でコメントもしています。

 

本当に仲がよく、休みがあえば一緒にトークショーに出演するなど、競艇界に夫婦で貢献していると言えるでしょう。

 

2017年1月に産休に入り、9月に第一子となる長男を出産しています。

 

そして、2018年3月に復帰しましたが同年5月には2回目の産休に入ります。

 

2018年は、復帰してから2ヵ月間しか戦う期間がなかったのですが、復帰戦でいきなり優出し、その次の下関では見事に、優勝という結果を出しています。

 

1年2ヵ月のブランクがあったにもかかわらず、すぐに結果を出したのは平山選手の気持ちの強さと実力の高さの賜物としかいいようがありませんね。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の平山選手について詳しく紹介してきました。

 

産休のブランク明けでも結果を残しているところなど、さすがとしか言いようがありませんね。

 

今回の記事にあった平山選手の特徴や、勝率連対率など、ぜひ、予想するときの参考にしてみてくださいね。

競艇の小野生奈ってどんな人?レース時の特徴や競艇選手になったきっかけまで徹底解説!!

 

写真元:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/profile?toban=4530

ご存知の方も多いと思いますが、今回当記事では、『飛び級昇格の天才レーサー』と称される小野生奈(おの せいな)選手について詳しく紹介していきます。

 

小野選手は、1988年に福岡県古賀市生まれで、福岡支部に所属している競艇選手です。

 

小野選手は2008年デビューしてから注目を集め、2013年にB1クラスから異例の『飛び級』でA1クラスに上り詰めたトップクラスの女子レーサーとして第一線で活躍し続けています。

 

近年では、2019年に小野選手の地元である福岡県古賀市の『水の特命大使』に就任するなど、水上で仕事をする競艇選手として奮闘しています。

 

記事中では小野選手のレース時の特徴や、得意なコースから競艇になったきっかけまで、詳しく見ていきますので予想する際にはぜひ、参考にしてくださいね。

 

小野選手の学生時代は?

小野選手は中学、高校と地元福岡の学校を卒業しています。

 

小野選手が所属していた『東海大学付属第五高等学校』はサッカーの名門校としてしられている学校で、当時から運動部は活発だったようです。

 

小野選手自身も中学、高校時代とソフトボール部に所属するスポーツ少女で、ポジションは花形のセカンドとして活躍していて、当時から運動神経が高かったことが窺えますね。

 

ソフトボールでは、どちらかというと守備よりも打撃の方が得意だったそうです。

 

小野選手が競艇選手になったきっかけは?

小野選手が競艇に興味を持ったのは、父親とボートレースを見に初めて競艇場行ったときで、そのことがきっかけになりそこから興味を持つようになったそうです。

 

そのときに出走していた日高逸子選手という女性レーサーが、男性レーサーにかっているところをみて、自分も競艇選手になって男性レーサーに勝ちたいと思うようになったのがきっかけになったといわれています。

 

高校を卒業した後、ボートレーサーの養成所に入所しましたが、養成所時代の成績は伸び悩み、勝率もあまり良くありませんでした。

 

卒業間近になっても勝率は3台で、最後のリーグでなんとか2着を獲り、首の皮一枚でギリギリ卒業できたようですね。

 

そこから、勝率をマックス7台まで伸ばすほど競艇選手として成長しているのは、小野選手の努力の賜物としか言えません。

 

しかも、A1クラスに昇格する際には、B1クラスからの異例の飛び級で昇格していて、当時の同期選手たちは、小野選手の成長に驚きを隠せませんでした。

 

それほどの成長が見えるのは、小野選手が凄まじい努力をしている証拠です。

 

デビュー当初は競艇選手として未熟だったにもかかわらず、SGの最高峰の舞台で戦う小野選手の姿は、これから競艇選手を目指す人に夢やきっかけを与えていることでしょう。

 

小野選手は姉妹で競艇選手

小野生奈選手には妹がいて、妹も小野選手と同じ競艇選手の小野真歩選手です。

 

妹である小野真歩選手とは、同じ福岡支部に所属しているので顔を合わせる機会も多いそうです。

 

姉妹で練習や意見交換も行い、互いに切磋琢磨しているそうですが、姉である小野選手は常に背中を見られているという先輩としての意識もあるようで、「妹に言った以上は、自分もその分しっかりやらないと、という気持ちが働きますからね」と、発言されています。

 

近年の小野選手の成長は、やはり妹の小野真歩選手が同じ競艇選手として戦っていることもあるようで、身近な人間が近くにいることが日々の成長の手助けとなっているのでしょう。

 

また、同じ世界で戦う以上、妹には負けられないという姉としてのプライドもあるみたいですね。

 

小野選手の実績と意外に遅かった初優勝

 

写真元:https://www.seibuhochi.com/boat/lb/fukuoka.html

 

現在では、女性レーサーの中でも第一線で活躍している一流選手である小野選手ですが、実はボートレーサー養成所の成績は下から2番目で、デビュー当初も華々しい活躍を見せたとは言えませんでした。

 

小野選手のデビューは2008年11月で初勝利を手にしたのが2010年の5月と、1年半も掛かっており、7以上もある今の小野選手の勝率からは考えられませんでした。

 

しかし、小野選手は努力を怠ることなく、2013年の12月、『男女W優勝戦』で悲願の初優勝を掴み取りました。

 

この勝利は3コースからのまくりで掴み取り、大きな話題となりました。

 

その後、2014年にSG初出場、2017年にはG1で初優勝するなど小野選手は素晴らしい快進撃を見せることとなります。

 

2018年のレースでも順調に勝利を積み重ね、見事に2018年の女子賞金ランキング1に躍り出ます。

 

総合ランキングでも53位になるなど、男子選手と肩を並べても見劣りすることなく、一流のレーサーとして活躍していると言えるでしょう。

 

初勝利まで1年半、そして初優勝から初優勝から8年目、今や女子トップクラスのレーサーの1人と言えますね。

 

2018年の小野選手の活躍は凄まじい勢いで、SGに6回も出場し、そのうち2回は準優勝戦まで進みました。

 

惜しくも準優勝戦では結果を残せませんでしたが、女子レーサーとしてここまで戦えたことは、小野選手の大きな実績となっています。

 

小野選手のレース時の特徴、得意なコースは?

 

続いて、小野選手のレース時の特徴や得意なコースを詳しく見ていきましょう。

 

小野選手といえば、レース時のターン技術の高さとモーター整備の技術力の高さが挙げられます。

 

また、小野選手の平均のスタートタイミングは0,17で決して早い方ではなく、むしろ遅い方と言えるでしょう。

 

しかし、スタート事故については比較的少なく、スタートが苦手という訳ではないとも言えますね。

 

ただし、小野選手のスタートのタイミングは年々早くなってきていて、それに伴いフライングも多くなっている印象も見られます。

 

このままレースの技術力が向上すれば、さらに良い成績を残すことが期待できますが、近年の小野選手はどちらかと言えばターン技術やスタートのタイミングが向上しているというよりも、モーター整備力にますます磨きが掛かっている印象です。

 

モーター整備を苦手とする女性選手が多い中、小野選手のモーター整備力は年々向上しているとされていて、女子戦においてはかなり有利な技術と言えるでしょう。

 

小野選手は、節間を通してモーター整備の方向性が見えないまま終了してしまうというケースはほぼ無く、しっかりと仕上げられるそうです。

 

モーター整備力の高さは、今後も小野選手の大きな武器となることでしょう。

 

次に得意なコースを見ていきましょう。

 

小野選手の進入は基本枠なりですが、チャンスがあれば少しでもインコースを狙っていきます。

 

しかし、強引な前づけや、インコースを無理に狙ってくるような印象はありませんね。

 

1コースからのレースは難しく、3、4、5コースからのレースの方が得意と自身も発言されています。

 

競艇の常識として、インコースからアウトコースになるほど、成績は悪くなっていくとされています。

 

しかし、アウトコースも得意な小野選手は女子リーグの時なら、5コースや6コースからでも舟券に絡む実力があると言えるでしょう。

 

特にモーターが出ている時の女子リーグでは、小野選手がアウトコース寄りであっても積極的に舟券に絡めてみるのも良いかも知れませんね。

 

まとめ

今回当記事では、『飛び級昇格の天才レーサー』と称される小野選手について詳しく紹介してきました。

 

近年では、賞金ランキングでも上位クラスにランクインしてきた注目選手なので、小野選手が良いモーターを引き当てた節のレースは要注目ですよ。

 

女子選手のためのレースも増えていて、ますます注目が高まっている競艇の女子選手。

 

その第一線で戦い続ける小野選手に今後も期待しましょう。