競艇の『桐生順平』選手とは?ターンの特徴や得意コースまで徹底解説

競艇の『桐生順平』選手とは?ターンの特徴や得意コースまで徹底解説

画像元:西日本スポーツ

そのターンスピードの速さから、『新世代ターン』などと呼称されるターンでも幅広く知られている桐生選手。

ご存知の人も多いかも知れませんが、今回当記事では、競艇の『桐生順平』選手について詳しく紹介していきます。

桐生選手は2007年5月に戸田競艇場でデビューを飾った福島県石川郡古殿町出身のトップレーサーで、埼玉支部に所属しています。

競艇のレースでは、第1コーナーの攻防でほぼ勝敗が決まるとされていますが、桐生選手はそのターンスピードの速さの利を活かし、2周目や3周目で逆転することもありますがそれをできる選手は多くはないでしょう。

地元の戸田競艇場では、上昇気流にちなんで『常勝桐生』と呼ばれるほど愛されている人気の選手です。

記事中では、レース時の特徴や獲得賞金など桐生選手がどのような選手か詳しく見ていきますので予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

 

桐生選手が競艇選手を目指したきっかけは?

桐生選手は元々、運動とスピードの出る乗り物が好きだったそうです。

高校時代には自転車競技の選手として全国大会に出場するほどの選手で、競輪選手を目指していたと言われています。

現在では引退されていますが、桐生選手には競輪選手だったお兄さんがいて、学生時代は兄弟で自転車競技をやっていました。

しかし、自身の体格が小柄だったことなどから競輪選手への道を断念し考えた末に、スピードの出る乗り物好きということと、体格の利を活かせるからという理由から競艇選手を志したそうです。

 

デビュー後の成績

 

画像元:ボートレース大村 公式Twitter

桐生選手は、2007年5月17日に戸田競艇場にて開催された一般戦『スポーツ報知スプリングカップ』でデビューし、6コースから3着という結果を残しています。

また、同節の第6レースにて6コースからのまくりを決め、デビューからわずか6走目で初勝利を飾ります。

さらにその翌年、2008年12月7日に戸田競艇場にて開催された一般戦『ボートピア岡部カップ開設7周年記念』では初優出を掴み取ります。

後ほど詳しく記載しますが、デビュー当時から桐生選手のレースの特徴が良く出ていると言えるでしょう。

 

 

G1初勝利から賞金王となるまで

画像元:サンスポZBAT!ボート

桐生選手はその後も順調に成績を重ねていき、2011年1月25日に宮島競艇場にて開催された『G1共同通信社杯第25回新鋭王座決定戦』でG1初出場を果たし、同節にてG1初勝利もその手に収めます。

同年5月には、SG初出場を決めると、同節でSG初勝利を果たします。 

さらに同年8月、戸田競艇場にて開催された一般戦『第34回戸田ボート大賞サンケイスポーツ杯』で4コースからのまくりを決め、通算優出22回目で初優勝を果たしました。

ここまでにデビューから約4年、当時から桐生選手のポテンシャルを最大限に発揮し、その頭角を現していったと言えるでしょう。

勢いもそのままに、2012年5月に浜名湖競艇場にて開催された、現在のボートレースオールスターにあたる『SG第39回笹川賞競走』でSG初優出を果たします。

桐生選手はG1の優出よりSG優出の方が早かった選手で、G1初優出は2013年に桐生競艇場にて開催された『開設57周年記念競走・GⅠ赤城雷神杯』でした。

その翌年、2014年9月28日に戸田競艇場で開催された開催された『第1回ヤングダービー』にて見事G1初優勝を飾るのですが、優勝戦は3艇がフライングする荒れたレースとなり、決まり手は恵まれとなりました。

そして、桐生選手はその後も快進撃を続け、2015年3月22日に尼崎競艇場にて開催された『SG第50回ボートレースクラシック』で1コースからの逃げを決め、SG初優勝をその手に掴み取ります。

しかし、同年4月9日に大村競艇場にて開催された『GⅠ開設63周年記念・海の王者決定戦』の優勝戦で、インコースからコンマ02のフライング事故を起こしてしまいます。

そのペナルティとして、2016年1月29日までのG1およびG2が出場停止となってしまい、前年度覇者であったヤングダービーの出場資格を喪失してしまいました。

その後、2015年9月7日に桐生競艇場にて開催された一般戦『スカパー!・第15回JLCカップ』で、1コースからの逃げを決め、通算500勝を達成します。

桐生選手は、2016年2月9日に多摩川競艇場で開催された『G1関東地区選手権』でG1レースに復帰すると、見事に優勝を果たしました。

2017年3月20日に児島競艇場にて開催された『SG第52回ボートレースクラシック』で2度目のSG優勝を果たします。

デビューから10年、この頃にはトップレーサーとして不動の地位を確立していたと言えるでしょう。

そして来る2017年12月24日、住之江競艇場にて開催された『SG第32回グランプリ』で1コースからの逃げを見事に決め、全競艇選手の夢の舞台とされているレースで優勝を果たします。

桐生選手は、その年度の賞金王、MVPにも選出され、名実ともにその年のNo.1競艇選手の栄冠を手にしました。

 

桐生順平選手の特徴・得意なコース

画像元:ボートレース住之江 公式Twitter

続いて、桐生選手のレース時の特徴や得意なコースを見ていきましょう。

桐生選手のレーススタイルの最大の特徴といえば、ターンスピードを活かした4コースや5コースからの『差し』や『まくり差し』が挙げられます。

そのため、アウト寄りのコースからの出場でも舟券に絡むことは十分に考えられるでしょう。

桐生選手の進入は基本的に枠なり進入ですが、チャンスがあれば少しでも内側のコースを狙う傾向があります。

しかし、積極的にインコースを取りに行ったり強引な前づけを行うタイプの選手ではありません。

桐生選手の平均スタートタイミングは、0.14とSGクラスの選手と比較しても早い方のタイムと言えるでしょう。

さらに桐生選手は、どのコースからでも同じくらいのスタートタイミングで、スタート事故も少なく非常に安定しています。

桐生選手が出場するレースは、モーターの引きがよほど悪くない限り、舟券に絡む可能性はかなり高いと言っても過言ではありません。

また、どのコースからでも1着を狙える実力を持つ選手ですが、1号艇~4号艇での出場であれば1着、または2着にかなり期待できるでしょう。

5号艇、6号艇からの出場であれば4着以降も考えられますが、他の選手と比較した場合に舟券に絡む可能性は高いことも桐生選手の特徴とされています。

 

桐生選手のレースは高額配当が出やすい!?

 

前記したように、桐生選手は特に『4コース、5コース』からの『差し』と『まくり差し』を得意としています。

連対率も4コースは約75%、5コースでは約60%と、かなりの高い数字であることが分かります。

競艇では、インコースが圧倒的に有利とされていることから、この数字は驚異的な数字と言われています。

2018年6月に多摩川競艇場にて開催された『SG第29回グランドチャンピオン』では、6号艇からの出場にもかかわらず、得意の差しで見事に勝利を飾りました。

一流のトップレーサーが集うSGレースで、6号艇から勝利することは非常に稀で、そのレースの配当金が『19万円』を超える超高額配当になったことも話題となりました。

上記のことから、桐生選手が4号艇、5号艇から出場しているレースは狙い目になるかも知れません。

 

桐生選手の獲得賞金

最後に、桐生選手の獲得賞金額を見ていきましょう。

以下の表に過去5年間の獲得賞金額をまとめました。

順位  獲得賞金額
2016年 4位 1億383万円
2017年 1位 2億12,24万1,000円
2018年 6位 86,71万959円
2019年 4位 1億49,64万1,000円
2020年 25位 64,88万3,000円

過去5年間の中でも、賞金王の栄冠を掴んだ2017年は物凄い金額ですね。

この年は獲得賞金ランキングを見ても、ぶっちぎりの金額でした。

今後も桐生選手がどこまで獲得賞金を伸ばすか楽しみですね。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『桐生順平』選手について詳しく紹介してきました。

桐生選手のレースの特徴や傾向を知ることで、今後のレースがより楽しめるようになると思います。

桐生選手の得意なコースなど、実際にレースを予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

競艇の『池田浩二』選手ってどんな人?特徴や獲得賞金まで徹底解説!

競艇の『池田浩二』選手ってどんな人?特徴や獲得賞金まで徹底解説!

画像元:サンスポZBAT!ボート

ウイリーモンキーの発明者で幅広く知られていて、その操縦技術の高さは航空自衛隊の曲技を連想させるほどで、『ブルーインパルス』の異名を取る池田選手。

ご存知の人も多いかも知れませんが、今回当記事では、競艇の『池田浩二』選手について詳しく紹介していきます。

池田選手は、1997年11月19日に地元である常滑競艇場でデビューを飾った愛知県常滑市出身のトップレーサーで、愛知支部に所属しています。

現在の競艇のレースにおいて必須のターン技術とされているモンキーターンですが、池田選手はそれをさらに昇華させたようなウイリーモンキーを武器に勝利を上げ続け、現役選手の中では2番目に多くSGタイトルを獲得しています。

記事中では、レース時の特徴や獲得賞金など池田選手がどのような選手か詳しく見ていきますので予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

それでは、順を追って見ていきましょう。

 

ウイリーモンキーの発明者

画像元:日刊スポーツ

冒頭でも少し触れましたが池田選手は『ウイリーモンキー』というターンの発明者としても広く知られています。

ウイリーモンキーとは、モンキーターンの際にボートの先端を持ち上げることで水面との抵抗を減らし、ターンの速度を速くする高度なターン技術のことを指します。

90年代後半から定着し、競艇のターンの花形と言えば『モンキーターン』でしたが、現在では数多くの選手が活用していて、第一線で活躍するためには、デフォルトのテクニックと言っても過言ではないでしょう。

そのため現代では、各選手がそれぞれの形でターンを昇華させているのですが、本人いわくモンキーターンの際にボートのハンドルを引っ張るクセがあり、その力でボートの先端が持ち上がりウイリーモンキーになるということらしく、モンキーターンを意図的に昇華させた技術ではないそうです。

池田選手本人も、過去に『自分でウイリーさせているイメージはないですね』と発言されています。

このウイリーモンキーはかなり高度なターン技術を要する超高等テクニックで、数多くの競艇選手でも使いこなせる選手は多くないとされています。

さらに、レース時の水面状況やモーターの調子などでウイリーモンキーが出来るかどうかが変わってしまうらしく、毎回ウイリーモンキーでターンできるかどうか分からないだけではなく、その場での高い判断能力も必要となる超高度なターン技術と言えるでしょう。

 

デビューからの快進撃

池田選手は、1997年11月19日に地元である常滑競艇場でデビューを飾り、その翌年には早くも初勝利を掴み取ります。

さらにその翌年の1999年5月に、常滑競艇にて開催された『中日スポーツ争奪捕第19回チャンピオン大会』で、4号艇からの抜きを決めて初優勝を飾っています。

その勢いのまま同年7月には、A1クラスへの昇級を果たし、その存在を競艇界に知らしめました。

この頃には、既にA1クラスで不動の地位を築いていた池田選手は、2000年1月25日からびわこ競艇場にて開催された『第14回新鋭王座決定戦競走』でG1初勝利を飾ります。

そして、同レースでG1初優勝も果たすという、圧倒的な強さを見せつけながらの快進撃を続け、自らの手でトップレーサーとしての道を切り拓いていきます。

 

その後も続々とタイトルを獲得していく池田選手

画像元:西日本スポーツ

その後も池田選手は続々とタイトルを獲得し、名実ともにトップレーサーとして活躍していくこととなります。

池田選手のSGレース初勝利は2002年の8月、地元常滑からほど近い、愛知県は蒲郡競艇場で開催された『SG第4回モーターボート記念競走』でした。

競艇では、初勝利まで数年掛かる選手も少なくないとされている中、デビューからわずか5年でSGレースの勝利を飾れたのは、池田選手のポテンシャルが本当に高いところと言えるでしょう。

2002年11月26日から津競艇場にて開催された『SG第5回競艇王チャレンジキャップ』では準優勝の結果を出し続け、賞金ランキングにノミネートを果たし、全競艇選手の憧れの舞台とされる、現在のボートレースグランプリにあたる『賞金王決定戦』に出場を果たします。

そして、池田選手がSGレースで初優勝を飾るのは翌年の2003年のことでした。

2003年6月24日から丸亀競艇場にて開催された『SG第13回グランドチャンピオン決定戦』で1コースからの見事な逃げを決め、ついにSG初優勝を飾りました。

そして、そこから池田選手は続々とSGタイトルをその手に収めていきます。

2005年には、『賞金王シリーズ(ボートレースグランプリシリーズ)』、2009年に『総理大臣杯とモーターボート記念(ボートレースクラシック)』、2011年には『笹川賞(ボートレースオールスター)』、『全日本選手権(ボートレースダービー)』、そして『賞金王決定戦(ボートレースグランプリ)』と、全てのレースで勝利し、2011年はMVPにも選出されました。

池田選手は2021年現在までに、6つのSGタイトルを獲得していて、残すところは『オーシャンカップ』と『チャレンジカップ』のみとなっていますが、2013年からはSGレースで優勝していません。

ちなみに、SGが8冠になってからはグランドスラムを達成した選手はまだいないので、ぜひとも池田選手がグランドスラマーと呼ばれるSG完全制覇者になることに期待しておきましょう。

 

池田選手のレーススタイルと特徴

画像元:ボートレース大村 公式Twitter

続いて、池田選手のレーススタイルと特徴を見ていきましょう。

池田選手のレーススタイルで最大の特徴と言えば、前記したようにやはりウイリーモンキーでしょう。

その美しいターンスタイルは、ファンの心を掴み、魅了し続けています。

レースの時の進入コースは、基本的に枠なりで進入することが多いです。

池田選手は、強引にインコースを取りに行ったり、前づけを行うこともあまりしない選手と言われています。

フライングなどのスタート事故も少なくスタートのタイミングも安定していますが、平均スタートタイムは0.14とトップレーサーの中では平均的なタイムと言えるでしょう。

池田選手はその操縦技術の高さから、どのコースからでも1着に入る可能性のある選手なので、池田選手が5号艇や6号艇で出場するレースは高額配当の狙い目かも知れません。

 

池田選手の獲得賞金額

最後に池田選手の獲得賞金額を見てみましょう。

以下の表に過去5年の池田選手の獲得賞金額をまとめました。

順位 獲得賞金額
2016年 8位 89,530,000円
2017年 42位 42,941,000円
2018年 19位 62,252,000円
2019年 15位 69,550,000円
2020年 19位 70,948,000円

2021年現在までの池田選手の生涯獲得賞金額は、『約19億円』とされています。

SGタイトルを6つも獲得しているトップレーサーの生涯獲得賞金は、その金額も物凄いですね。

今後も、池田選手が生涯獲得賞金額を伸ばしていくのを楽しみにしておきましょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『池田浩二』選手について詳しく紹介してきました。

ウイリーモンキーなど、池田選手のレースの特徴を知ることで今後のレースがより楽しめるようになると思います。

池田選手はどのコースからも1着が狙える選手なので5号艇や6号艇から出場している時は狙い目かも知れません。

実際にレースを予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

競艇の『白井英治』選手とは?特徴や無冠の帝王の由来まで徹底解説!

競艇の『白井英治』選手とは?特徴や無冠の帝王の由来まで徹底解説!

画像元:スポニチアネックス

『無冠の帝王』、『ホワイトシャーク』などの異名でも幅広く知られていて、そのストイックな人間性でもファンを魅了し続ける白井選手。

ご存知の人も多いかも知れませんが、今回当記事では、競艇の『白井英治』選手について詳しく紹介していきます。

白井選手は1997年5月に下関競艇場でデビューを飾った山口県美祢市出身のトップレーサーで、山口支部に所属しています。

白井選手は、2014年に競艇選手としてSG優勝を勝ち取るまで17年、回数にして68回という期間が掛かった苦労人としても有名ですが、本人は『自分に足りなかったものがあった』と冷静に語るなど、苦労とは思っていなかったそうです。

諦めずに努力を続け、結果を出す姿勢に多くのファンは心を打たれ、歓喜しました。

それでは、そんな白井が競艇選手を目指したきっかけから現在まで順を追って見ていきましょう。

レース時の特徴や獲得賞金など、白井選手がどのような選手か詳しく見ていきますので予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

 

白井選手が競艇選手を目指したきっかけは?

画像元:BOAT RACEオフィシャルウェブサイト

白井選手が競艇選手を目指したきっかけは、父親の影響が大きいとされています。

白井選手は父親が競艇好きだったこともあり、小学生の頃から競艇場に通っていて、その頃から既に競艇選手になりたかったそうです。

そして、その頃の志をそのままに、高校卒業後にかつて山梨県に存在した山梨県の本栖湖を訓練場とする『本栖研修所』を受験します。

しかし、学科の点数や、血圧や身長オーバーによる身体的な理由から合計4度の受験が不合格となってしまいます。

白井選手は、5回目の受験で合格し晴れて競艇選手になるまでの約2年間に新聞配達のバイトをしながら理工系の専門学校に通っていた過去もあり、当時からストイックな人間性であったということが分かりますね。

白井選手のデビュー後の成績

冒頭でも少し触れましたが、白井選手は1997年5月22日に下関競艇場でデビューし、同年6月13日に宮島競艇場で開催された、一般競走2日目の9Rで5コースからまくりを決め、見事初勝利を飾りました。

また、同年7月16日に福岡競艇場で開催された『追い山特選レース』で初優出し、優勝戦では5着に入るなど、デビュー年からその頭角を現していきます。

そして、翌年も1998年12月8日に地元である、下関競艇場で開催された『競帝王決定戦 開設44周年記念競走』で見事G1初出場を果たしたものの、選手責任のスタート事故を起こしてしまい失格となってしまいました。

しかし、白井選手はその翌年の1999年1月24日、蒲郡競艇場で開催された一般戦にて6コースから見事な差しを決め、初優勝を飾ることとなるのでした。

 

『無冠の帝王』がSGレースで優勝するまで

 

画像元:西日本スポーツ

その後も白井選手の勢いは衰えることなく、2000年1月25日にびわこ競艇場で開催された『第14回 新鋭王座決定戦競走』の6Rで4コースからの差しを決めてG1初勝利を飾り、同年9月17日に蒲郡競艇場で開催された『ダイヤモンドカップ』にてG1初優出を手にしました。

2001年には、尼崎競艇場で開催された『第6回オーシャンカップ競走』でSG初出場を果たし、10月28日に常滑競艇場で開催された『第48回 全日本選手権競走』で念願のSG初優出を掴み取りました。

しかし、その後も記念レースやSGレースの常連選手として在り続けるも、SGで優勝することは中々できず、白井選手が『無冠の帝王』と称されるようになったのもこの頃からでしょう。

そして、2002年3月19日に平和島競艇場にて開催された『第37回 総理大臣杯競走』4日目の2Rで3コースからまくりを決め、ついにSG初勝利を手に入れます。

その翌年の2003年10月7日に平和島競艇場にて開催された『トーキョー・ベイ・カップ 開設49周年記念競走』で1コースからの逃げ切りを見せ、デビューから6年でG1初優勝を飾りました。

さらにその2年後、2005年5月17日には通算500勝目となる勝利を津競艇場にて開催された『第34回 つつじ賞王座決定戦 開設53周年記念競走』で挙げたあと、しばらく成績が伸び悩むことに。

しかし、白井選手はその後も競艇選手として奮闘し続け、2011年1月3日に下関競艇場にて開催された『スポニチ金杯争奪 関門大賞』で4コースからの逃げ切りを見せ、見事通算1000勝目の勝利を手に入れます。

さらに、同年7月5日に浜名湖競艇場にて開催された『東日本大震災被災地支援競走 浜名湖賞 58周年記念』では、3コースからの、まくりを成功させ通算50回目の優勝を飾り、『無冠の帝王』のまま記録を伸ばし続けます。

そしてついに、2014年8月31日に若松競艇場にて開催された『第60回ボートレースメモリアル(モータボート記念)』で2コースから見事なまくりを決め、SG初優勝をその手に納めることを果たしました。

デビューから実に17年、『無冠の帝王』は帝王であり続ける為の努力を怠うことをせず見事冠を獲得し、このレースは競艇史にも、競艇ファンの心にも深く刻まれたことでしょう。

 

白井選手のレースの特徴

画像元:ボートレース若松公式サイト

続いて、白井選手のレース時の特徴を見ていきましょう。

白井選手の1番の特徴は、その巧みなハンドル操作の技術から繰り出される鋭角なターンとされています。

そのターン技術とハンドル捌きから『関門のホワイトシャーク』の異名を取るほどで、師匠である『今村豊』選手からも高く評価されています。

白井選手はインコースからのレースを得意としていますが、1コース以外からのレース展開を苦手としている訳ではありません。

そのハンドル操作の技術と集中力の高さから、どんな状況にでも対応することができる、レース力の高さも白井選手の特徴の1つと言えるでしょう。

平均スタートタイミングは0.14とトップレベルで、勝率も8.04と高い数字をキープしており、まさに一流のトップレーサーと言えるでしょう。

※上記データ集計期間:2020/05/01~2020/10/31 引用元:BOAT RACEオフィシャルウェブサイト

 

白井選手の得意なコース

次に、白井選手の得意なコースを見てみましょう。

白井選手の進入は基本的に枠なり進入で、そのハンドル操作技術の高さから、どのコースからも1着を狙える実力です。

しかし、近年は5コースや6コースといったアウトコースでの勝率が著しく低くなっているのも事実と言えるでしょう。

その理由として挙げられるのがスタートのタイミングです。

前記したように白井選手の平均スタートは0.14と好タイムなのですが、やはりアウトコースは苦手なのか6コースでのスタートタイミングは0.22と極端に遅くなってしまう傾向があります。

しかし白井選手の勝率は現在でも高く、賞金ランキングでも上位に食い込んできているので全体的な調子が悪いという訳ではありません。

1コースから4コースまでに入るレースであれば1着を取る可能性も十分に考えられますので、常に注目しておく必要があるでしょう。

 

白井選手の獲得賞金額

ここまでの記事にもあったように、白井選手は獲得賞金ランキング上位の常連となる実力を持つ一流のトップレーサーです。

当然、獲得賞金の方も気になりますよね。

それでは、獲得賞金額を順に見ていきましょう。

白井選手の、過去5年間の獲得賞金ランキングの順位と獲得賞金額を以下の表にまとめました。

順位 獲得賞金額
2016年 15位 67,79万80円
2017年 5位 1億10,72万2,000円
2018年 3位 1億26,40万1,000
2019年 6位 1億19,45万7,000円
2020年 7位 69,61万3,000円

上記にあるにも通り、2017年~2019年まで3年連続で1億円を超えています。

獲得賞金で見ても、白井選手のアベレージが高いことが分かりますね。

今後、白井選手がどこまで生涯獲得賞金額を伸ばしていくのか楽しみにしておきましょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『白井英治』選手について詳しく紹介してきました。

『無冠の帝王』が冠を手にするまでには並々ならぬ努力があったことは間違いないでしょう。

白井選手のレースの特徴や、得意なコースなどは実際に予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

『賞金王の歴史に白井英治の名を刻みます』という白井選手自身の発言が現実となる日を楽しみに、今後も応援していきましょう。

 

競艇の『菊地孝平』選手ってどんな人?レースの特徴や成績を徹底解説

競艇の『菊地孝平』選手ってどんな人?レースの特徴や成績を徹底解説

画像元:BOAT RACEオフィシャルウェブサイト

そのスタートタイミングの速さと判断能力は、競艇界でもトップクラスの定評があり、間違いなく現代を代表するトップレーサーの1人である菊地選手。

ご存知の人も多いかと思いますが、今回当記事では、競艇の『菊地孝平』選手について詳しく紹介していきます。

菊地選手は1998年5月に競艇選手としデビューした静岡支部に所属している選手です。

菊地選手は、レースの判断能力が非常に高いことも特徴の1つで、『菊地のIQは160ある』と本栖養成所時代の教官が語ったことがあるほどで、レース中にとっさの判断ができることも強さの秘訣と言えるでしょう。

それでは、菊地選手がどのような選手なのか詳しく見ていきますのでぜひ、予想する時の参考にしてみてくださいね。

 

菊地選手が競艇選手になったきっかけと選手としての目標

菊地選手が競艇選手になったきっかけは、競艇好きである菊地選手の父親の勧めが大きく影響しているそうです。

菊地選手は高校時代に野球部で活躍していたそうで、菊地選手の運動神経の基礎はその頃に養われたのでしょう。

また、冒頭でも少し触れましたが菊地選手は非常に頭の回転が早い選手と言われていて、高校時代も数学や物理などの勉学も好きで、将来は飛行機の設計開発などの職に付きたいと考えていたそうです。

その成績から、岩手県の名門大学に推薦で合格していましたが、父親の勧めから同時に受験、合格していた本栖研修所に入所しました。

そして競艇選手になった菊地選手は、競艇選手としての目標を『自分に満足すること』と語っており、その目標からもストイックな人間性であることが伝わってきます。

 

菊地選手のレーススタイルと特徴

 

画像元:ボートレース児島 公式Twitter

続いて、菊地選手のレーススタイルや特徴を見ていきましょう。

菊地選手に見られるレーススタイルの最大の特徴として、スタートの上手さが挙げられます。

競艇選手は、第1レースが始まる前やレースの合間にスタートのタイミングなどの練習を行います。

当然、本番のレースで水面の状況や天候、風速や風向きなどが変わっている場合も少なくないのですが、そういった場合の軌道修正の技術が高いことも菊地選手の特徴の1つと言えるでしょう。

競艇では、このような判断能力の高さやレースの展開をその場で変更する決断力に頭の回転の速さやレース経験の利が出るとされています。

菊地選手の平均スタートタイミングは0.10~0.15で、この数字はSGクラスの選手と比較してもトップレベルと言えるでしょう。

 

SGレースでフライングした過去も!?

そのスタート能力の高さから、基本的にはスタート事故が少ないことで定評のある菊地選手ですが、SGレースの大舞台でフライングをしてしまった経験があります。

2015年の5月27日に大村競艇場で開催された、『SG第42回ボートレースオールスター(笹川賞)』2日目の第10レースにおいて菊地選手は、コンマ01というほんのわずかな誤差でフライングをしてしまい、賞典除外となった過去も存在します。

このスタート事故により菊地選手のボートレースオールスター連覇という夢は途絶えてしまいました。

さらに、この年の前年に同大会で優勝していた菊地選手に人気が集まっていたため、5号艇での出場だったにもかかわらず、発売額(1億1620万500円)の約57%にあたる6,649万8,700円が返還されてしまうこととなりました。

SGレース連覇が掛かっていた勝負でフライングをしてしまった悔しさは、本人以外は計り知れないことでしょう。

 

1コース以外からの勝率が高い

画像元:日刊スポーツ

競艇では1コースが圧倒的に有利とされていて、これは競艇の基本中の基本で、全国に24ヵ所ある競艇場で1コースの平均1着率は、50%以上にも上ります。

しかし、菊地選手はその1コース以外からの優勝や、優勝戦進出が多いことも特徴の1つとして挙げられている選手です。

レースの時、4コースまでに進入することができればかなりの確率で2着までに入ってくる可能性が高いと言えるでしょう。

5コース、6コースでも、1着は厳しくとも舟券に絡んでくる可能性は十分に考えられます。

レースに出場している相手選手のスタートの上手さにもよりますが、基本的に菊地選手が舟券に絡む可能性はかなり高いとされています。

菊地選手が出場するレースでは、常に注目しておくことが必要と言えるでしょう。

 

菊池選手の得意なコースは?

画像元:サンスポ

先ほど、菊地選手は1コース以外からの勝率が高いことを紹介しました。

では、菊地選手が1コース以外からの場合、一体どのコースが得意なのか詳しく見てみましょう。

菊地選手はSGやG1 などの重要なレースで1コース以外では、特に2コースからの場合に結果を残していることが多く見受けられます。

菊地選手が、2コースから優勝しているレースを以下の表にまとめました。

開催年月 開催場所 グレード レース
2009年11月 三国競艇場 G1 第56回北陸艇王決戦
2014年6月 福岡競艇場 SG 第41回ボートレースオールスター(笹川賞)
2016年8月 桐生競艇場 SG 第62回ボートレースメモリアル(モーターボート記念競走)
2017年2月 浜名湖競艇場 G1 浜名湖賞開設63周年記念
2020年2月 多摩川競艇場 G1 ウェイキーカップ開設65周年記念

※上記は2021年1月までのデータになります。

菊地選手はこれまでに一般戦でも3回、2コースからの優勝を決めています。

今後の予想の際にも、菊地選手が2コースを取りそうなレースは特に注目しておく必要があると言えるでしょう。

 

菊地選手の獲得賞金額は?

ここまでの記事にもあったように、菊地選手は競艇選手として第1線で活躍しているトップレーサーの1人です。

当然、獲得賞金の方も気になりますよね。

それでは、菊地選手の獲得賞金額を見ていきましょう。

菊地選手の、過去10年間の獲得賞金ランキングの順位と獲得賞金額を以下の表にまとめました。

順位 獲得賞金額
2011年 25位 49,46万1,000円
2012年 24位 49,44万4,000円
2013年 20位 54,21万1,600円
2014年 1位 1億69,54万9,000円
2015年 27位 47,44万1,500円
2016年 3位 1億34,66万0,500円
2017年 8位 99,94万0,000円
2018年 9位 85,27万6,000円
2019年 12位 84,79万5,000円
2020年 8位 1億75,97万6,000円

引用元:ボートレース公式サイト(リンクは2020年のランキングになります)

競艇選手の平均年収は1,600万円と言われています。

獲得賞金で見ても、菊地選手が1流のトップレーサーということが分かります。

2021年の獲得賞金額もどこまで伸びるか楽しみにしておきましょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『菊地孝平』選手について詳しく紹介してきました。

菊地選手が競艇選手になったきっかけや、競艇選手としての目標などは知らなかった人も多かったのではないでしょうか。

レース時の特徴や得意なコースなどは、実際に菊地選手が出場するレースを予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

競艇の『松井繁』選手ってどんな人?絶対王者の特徴や記録を徹底解説

競艇の『松井繁』選手ってどんな人?絶対王者の特徴や記録を徹底解説

画像元:サンスポZBAT!ボート

『絶対王者』の異名で艇界のイケメンとしても幅広く知られていて、競艇好きの人なら1度はその名前を聞いたことがあると言っても過言ではないでしょう。

ご存知の人も多いかも知れませんが、今回当記事では、競艇の『松井繁』選手について詳しく紹介していきます。

松井選手は、1989年5月に住之江競艇場でデビューを飾った大阪府の吹田市出身のトップレーサーで、大阪支部に所属しています。

競艇の盛んなエリアである、近畿地区の絶対的なエースレーサーで、『絶対王者』の異名に恥じることのない素晴らしい成績を残していることからも、その圧倒的な実力が分かります。

レース時の特徴や獲得賞金など、松井選手がどのような選手か詳しく見ていきますので予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

それでは、順を追って見ていきましょう。

 

松井選手が競艇選手を目指したきっかけ

画像元:BOAT RACEオフィシャルウェブサイト

競艇選手を目指すきっかけとして、大半の選手が父親などに連れられて学生時代に実際の競艇のレースを見たことを挙げられています。

しかし、松井選手にはそのようなきっかけはなかったとされています。

小・中学生時代はテニスをされていたようですが、目立つような選手ではなかったそうです。

高校は、大阪府大阪市にある北陽高校学校に進学しますが、将来の進路ややりたいことを見出せず、大学を受験するつもりだったとされています。

そんな時、松井選手の実家である魚屋の従業員さんから競艇選手の養成所の募集案内を渡されたことがきっかけとなり養成所に応募したところ、見事に合格し競艇選手への道を進むことになりました。

この頃はまだ、家族や周りの人なども松井選手が艇界の絶対王者になることは予想もしていなかったでしょう。

 

デビュー後の快進撃

松井選手の才能は、養成所時代から既に見え隠れしていたそうですが、1989年に地元である住之江競艇場でデビューを果たし、その後すぐに頭角を現し始めました。

松井選手は、デビューしてわずか半年でB1クラスに昇格し、その翌年にはA1クラスに昇格します。

また、デビューから3年後にはG1レースで優勝を果たし、この頃から松井選手の話題性や注目度が高くなっていったと言えるでしょう。

その後しばらくは、G1で優勝できない期間が続いてしまうのですが、1995年2月にびわこ競艇場で開催された『第38回近畿地区選手権』で2度目のG1優勝を手にします。

そして、同年に大村競艇場で開催された『開設43周年記念海の王者決定戦』で3度目のG1優勝を果たしたことで毎年、年末に開催されている現在の『ボートレースグランプリ』にあたる、『賞金王決定戦』へ出場しました。

松井選手はその年から10年もの間、賞金王決定戦に連続出場する快挙を成し遂げました。

 

艇界の絶対王者となった松井選手の特徴

画像元:スポニチアネックス

それでは、艇界の『絶対王者』と異名を持つ松井選手のレースの特徴を見ていきましょう。

松井選手はその異名の通り、ターン技術、スタート技術、さばきの技術に加え、整備技術までも一流の技術を持つ選手と言われていて、現在の競艇界において最もレベルの高い選手の1人と言っても過言ではないでしょう。

松井選手のレーススタイルから、1戦だけを考えたレースをしているのではなく節間を通してのレースを考えていることが窺えます。

具体的には、準優勝戦が最低ライン、次に優勝戦、その次に優勝する、そのためには何着までには入らなくてはいけない、といったような節間を通したプロセスが考えられていて、まさに競艇を知り尽くしたような戦法と言えるでしょう。

そのため、松井選手は毎回絶対に1着を狙うという感じではありません。

また、松井選手にはイン屋という特徴もあり、基本的に進入コースは枠なり進入が多いですが、イン寄りのコースが狙える時にはどんどんインコース狙っています。

その実力の高さから、競艇で圧倒的に不利とされている6コースからでも舟券に絡むことも少なくありません。

そして、松井選手が1コースに入った時の1着率はかなり高くなっています。

松井選手が1号艇の場合や1コースを取りそうな場合では、1着予想の舟券もまず外せないでしょうし、5コースまでの進入であれば1着の可能性は十分に考えられますが、6コースの場合は舟券に絡むくらいになること多いと言われています。

しかし、どのコースからのスタートであっても常に舟券に絡んでくる実力を持っているので、松井選手が出場するレースを予想をする際には常に注目しておく必要があると言えるでしょう。

 

松井選手が優勝したSGレース

画像元:ボートレース平和島 ピースターブログ

続いて、松井選手が優勝したSGレースについて詳しく見ていきましょう。

松井選手は、過去に12回のSGレースで優勝を果たしており、この数字は競艇界でも驚異的な数字と賞賛されています。

松井選手が優勝したSGレースを以下の表にまとめました。

優勝回数 開催年月 開催場所 レース
1回目 1996年5月 児島競艇場 第23回笹川賞
2回目 1998年7月 三国競艇場 第3回オーシャンカップ
3回目 1999年12月 住之江競艇場 第14回賞金王決定戦
4回目 2001年5月 浜名湖競艇場 第28回笹川賞
5回目 2006年7月 若松競艇場 第11回オーシャンカップ
6回目 2006年12月 住之江競艇場 第21回賞金王決定戦
7回目 2008年3月 児島競艇場 第43回総理大臣杯
8回目 2008年7月 蒲郡競艇場 第13回オーシャンカップ
9回目 2009年10月 尼崎競艇場 第56回全日本選手権
10回目 2009年12月 住之江競艇場 第24回賞金王決定戦
11回目 2013年7月 若松競艇場 第18回オーシャンカップ
12回目 2014年3月 尼崎競艇場 第49回ボートレースクラシック(総理大臣杯)

 2021年現在、競艇選手の中で最も多くSGを優勝したのは17回の『野中和夫』選手です。

野中選手は、『モンスター』という異名を取る競艇界のレジェンド選手で、2009年に引退していますが、未だにその記録は塗り替えられていません。

松井選手の12回は、それに続き競艇選手の中で2番目に多いSG優勝回数になります。

ちなみに、絶対王者である松井選手にも苦手レースはあるのか、SG、G1問わず『江戸川競艇場』でだけは優勝したことはありません

今後、松井選手の自己記録の更新や、野中選手の記録を塗り替える選手が現れるのか楽しみにしておきましょう。

 

松井選手の生涯獲得賞金

次に、松井選手の生涯獲得賞金を見てみましょう。

松井選手は、2011年に公営競技史上初の生涯獲得賞金30億円を突破した記録を持っている人物であり、これだけを取ってみても物凄い選手ということが分かりますよね。

2021年現在、松井選手の生涯獲得年収は『約39億円』と言われていて、歴代競艇選手でもNo.1の金額です。

ちなみに、競艇選手の平均年収は約1,600万円と言われています。

松井選手が競艇選手の中でも名実共に、超一流のレーサーということが分かりますね。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の『松井繁』選手について詳しく紹介してきました。

記事にもあった通り、『絶対王者』の異名に恥じることのない超一流の競艇選手ということが分かりますね。

生涯獲得賞金額やSGレースの優勝回数など、松井選手が保持する記録をどこまで伸ばしていくか楽しみにしている人も少なくないでしょう。

レースでの特徴など、松井選手が出場するレースを予想する際にはぜひ、参考にしてみてくださいね。

競艇の『吉川元浩選手』とは?成績、得意なレースまで徹底解説!

 

写真元:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/profile?toban=3854

ご存知の人も多いかと思いますが、『ゲンコー』という愛称で親しまれている、吉川元浩選手。

 

今回当記事では、『吉川元浩』について、競艇選手になるまでの道のりや、得意なレースまで詳しく紹介していきます。

 

吉川選手はボートレーサーの養成所を受験した時すでに22歳で、当時の年齢制限の上限で受験しています。

 

そして、デビュー時の年齢は24歳で、当時の競艇選手の中ではかなり高い年齢でのデビューとされています。

 

しかし、吉川選手はその年齢的なハンデを乗り越え、デビュー以降も競艇選手としての努力を決して怠ることなく、堅実に結果を積み重ねていくことになります。

 

吉川選手の競艇選手としてのデビューが、なぜ年齢的にハンデのあるタイミングからだったのか、なども記事中で詳しく紹介していきます。

 

それでは順に見ていきましょう。

 

吉川選手のプロフィール

吉川選手は兵庫県の出身で、兵庫支部に属しています。

 

・生年月日 1972年9月7日

 

・デビュー 1996年11月17日

 

と、生年月日とデビューの年を見ても、選手としてのスタートから年齢が高かったことが窺えます。

 

身長 164cm、体重 51kgと競艇選手としては平均的な体格をしていますが、24歳から競艇の世界に飛び込み、この体型を作っていくことにはかなりの努力があったことでしょう。

 

ちなみに、血液型は O型で、2020年現在では見事、競艇選手の中では1番グレードの高いクラスである、A1クラスの選手として登録されています。

 

吉川が競艇選手になったのは会社員からの転身だった

吉川選手は当時、在学していた兵庫県立兵庫工業高等学校卒業後、兵庫県内にある建築会社にて就職し、会社員として働いていたそうです。

 

吉川選手の人生に転機が訪れたきっかけは、当時会社員として働いていたときに発生してしまった大災害、阪神・淡路大震災でした。

 

1995年1月17日の早朝、最大震度7という大規模な地震が関西地方を襲いました。

 

結果的に、阪神・淡路大震災は6000人以上の死者を出し、日本においても歴史的な大災害になってしまいました。

 

吉川選手が当時住んでいた住宅も、その激しい揺れによって全壊、さらに職場も大きな被害を受けたとされています。

 

それまで会社員として安定した生活を送っていた吉川選手も例に漏れず、避難所での生活を余儀なくされました。

 

避難所での生活で、吉川選手は肉体的にも精神的にも追い詰められた状態になってしまったとされていますが、そんな中吉川選手が競艇選手になるきっかけが訪れます。

 

それは、『会社の同僚からの言葉』だったそうです。

 

当時、同災害で被災された会社の同僚に、競艇選手になることを勧められたことがきっかけで吉川選手は競艇選手を志すことになったのです。

 

死にものぐるいで掴み取った競艇選手として遅咲きのデビュー

当時勤めていた会社の同僚からの勧めにより競艇選手としての狭き門を進むこととなった吉川選手は、1995年に22歳という年齢でボートレーサー養成所に入所しました。

 

ボートレーサーの養成所は15歳から入所することができ、その殆どは10代で入所します。

 

22歳という年齢で入所した吉川選手は入所者としては年齢が高く、当時の年齢制限の上限年齢での入所となりました。

 

しかし、吉川選手は当時、年齢的なハンディキャップを乗り越えるため、死にものぐるいで相当な訓練を積んだと言われています。

 

そしてなんと、トップクラスの成績でボートレーサー養成所を卒業しました。

 

弛まぬ努力と、様々なことを背負った強い想いから競艇選手として念願のデビューを果たしたのです。

 

吉川選手は1996年11月17日、尼崎競艇場で開催されたデビュー戦では、見事に1着でのゴールを掴み取ります。

 

そしてさらに、デビューしてまだ間もない1997年4月に優勝戦への初出場まで果たしました。

 

このように、競艇選手として吉川選手のデビュー直後の勢いは凄まじいものでした。

 

しかし、現実は厳しく、その後の吉川選手を待ち構えていたものは途方もないような苦難の道でした。

 

デビューの勢いから一転、何年も続いた苦難の道

様々な苦難を乗り越えて、競艇選手としての華々しいデビューを果たし、最高の形でスタートしたと思えた吉川選手ですが、その道は決して簡単なものではありませんでした。

 

競艇選手であれば誰もが憧れ、挑戦してみたくなる大きな目標とされているもの、それは競艇界最高峰のレースであるSGへの出場、そして優勝です。

 

もちろん、吉川選手も全競艇選手の目標であるSGでの優勝を目指し、何度も何度もチャレンジし続けました。

 

しかし、何度挑戦しても栄冠を手にすることはできず、優勝戦には勝ち上がったものの、優勝することはできなかった経験もあるなど、悔しい思いをたくさん味わってきました。

 

そして、吉川選手のデビューから10年もの年月が経過します。

 

10年もの間、選手として奮闘し続け、厳しい練習に身を捧げて成長を続けた吉川選手の現状は、好転することはありませんでした。

 

しかし、吉川選手は決して諦めることをせずに、自身と競艇に対してのチャレンジを辞めることもしませんでした。

 

そして、デビューから11年もの年月が経過した2007年12月、ついにその時は訪れました。

 

数々の困難を乗り越え、涙のSG初優勝

 

写真元:https://www.nikkansports.com/public_race/news/201903220000293.html

吉川選手がデビューした1996年から11年後の2007年12月24日のクリスマスイブに福岡競艇場にて開催された第22回『賞金王決定戦』に悲願の初出場を果たしました。

 

そして吉川選手は順調に勝ち進み、実に8度目となるSG優勝戦へと駒を進めます。

 

そして最も、名誉とプレッシャーがのし掛かるとされる1番人気の中、ついにSGでの初優勝をその手に勝ち取ったのです。

 

吉川選手はそのレースが終わった後、涙を流したとされています。

 

そのあまりに美しく、あまりにもたくましい涙までデビューから実に11年。

 

自身と競艇に対してのチャレンジを決して諦めることなく、執念で勝ち取ったSG初優勝。

 

吉川選手がそれまで背追い込んでいた様々な想いが、涙となって溢れ出たそのシーンは数ある競艇のハイライトでも、最高の瞬間の1つとされています。

 

吉川選手のSG初優勝までの長く、苦しい道のりは、数々のテレビ番組などでも取り上げられ、競艇界の中でも話題になりました。

 

当然、吉川選手にしか分からないであろう困難な道のりであったと思いますが、諦めないことや、努力を続けること、チャレンジし続ける姿勢は多くの競艇ファンに夢を与えました。

 

様々な想いを背負って遅がけの競艇選手になった、吉川選手の競艇にかける想いは計り知れない程強く、大きなものなのでしょう。

 

吉川選手は、2019年3月21日、戸田競艇場において開催された平成最後となるSGの第54回総理大臣杯で見事2回目のSG優勝を果たしました。

 

さらに、同年5月26日に福岡競艇場で開催された、令和初となるSGの第46回笹川賞も制し、SG2連続優勝という快挙も果たしています。

 

吉川選手は2020年現在でも、獲得賞金が1億円を超えるなど、トップクラスの選手として走り続けています。

 

吉川選手のレーススタイルの特徴・得意なコース

 

写真元:https://mainichi.jp/articles/20200322/k00/00m/050/176000c

最後に、吉川選手のレーススタイルや得意なコースを見ていきましょう。

 

吉川選手の進入は基本的に枠なり進入で、どこの競艇場の、どのコースからでも1着が狙える実力があるとされています。

 

吉川選手の平均スタートのタイミングは0,15でSGクラスの選手としては平均的なタイミングとなっています。

 

しかし、6コースに入った時には0,11とタイミングが早くなることから、アウトコースからのスタートを得意としているようです。

 

ハイレベルなレースでも、十分に舟券に絡む可能性があるので、予想する上でも常に注目しておきたい選手ですね。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の吉川選手について詳しくは紹介してきました。

 

記事中でも紹介してきましたが、吉川選手は数々の逆境を乗り越えながら活躍を続け、競艇ファンに夢を与え続けてくれている選手の一人です。

 

競艇に限らず、どんな時でも吉川選手のような強い気持ちはぜひ、見習いたいところですよね。

 

どこまで獲得賞金額を伸ばせるかなど、今後の吉川選手にも注目ですね。

競艇に八百長は存在する!?八百長疑惑の実態

長年にわたり、国民に愛され続いている公営ギャンブルの1つである競艇。

 

実は、ボートを人が操縦するという特性もあり、昔から『八百長疑惑』がつきものなんです。

 

競艇はあくまでもギャンブルなので、観客がお金を賭けることで運営されています。

 

お金を賭けている以上、本当に八百長は行われているか、当然、気になるところですよね。

 

今回当記事では、競艇における八百長について詳しく見ていきたいと思います。

 

競艇における八百長は存在する!?

 

競艇だけではなく、他のギャンブルでもそうですが、ギャンブルには昔から『八百長疑惑』がつきものとされていますが結論から言うと、競艇の世界でも、過去に八百長は発覚しています。

 

韓国の競艇でも実際に八百長が発覚したなどありましたが、国内では、2020年の1月に「西川昌希」元選手が八百長をして捕まった事は大きな話題となりました。

 

しかし、こちらはとても稀なケースで実際に八百長はほとんど行われておらず、舟券を購入する際にも気にする必要は無いとされています。

 

その最大の理由として、日本の競艇の市場規模はとても大きく、他のスポーツと比べても選手の待遇が良いことが挙げられます。

 

つまり、日本の競艇で八百長するメリットがあまりないと言うことになります。

 

競艇における過去の八百長事例

・西川昌希元選手の八百長

先程も触れましたが、2020年1月に、「西川昌希」という元選手が逮捕されました。

 

その内容として、2019年7月2日のびわこ競艇場でのレースで、協力者である親戚と八百長を行い、現金300万円を受け取ったと朝日新聞など各社が報じています。

 

さらに、その後の調査で、その他のレースでも八百長を行っていたことも発覚し、名古屋地裁から2020年10月21日に、懲役3年、追徴3725万円の判決が言い渡されました。

 

・江戸川競艇場で職員が舟券を大量購入

こちらはかなり過去の事例ですが、江戸川競艇場の職員が、1982年から1984年の2年間にわたり、舟券発売を締め切った後に関係者幹部の指示のもと、的中するであろ舟券を大量に発行していたという、競艇場関係者が行った八百長の事例です。

 

その2年の間に、約2200万円もの大金を不正に得ていたということで、当時大問題になりました。

 

江戸川競艇場はこの事件を受け、約3ヶ月半の間自粛を行っていますが、多くの競艇ファンに対する裏切り行為で許されることではありません。

 

レースに対する八百長というよりは、競艇のシステムの盲点をつき、配当金を不正に受け取るという詐欺のような案件でした。

 

現在はこのようなことが再発しないよう、システムも見直され、全国的に対策されています。

 

八百長した時の選手のデメリットは?

当然の話ですが、選手が八百長を行わないように、競艇では「モーターボート競走法」という法律のもと、厳しい規定が定められています。

 

※競走の選手が、その競走に関して賄賂ろを収受し、又はこれを要求し、若しくは約束したときは、三年以下の懲役に処する。よつて不正の行為をし、又は相当の行為をしなかつたときは、五年以下の懲役に処する。

 

※以上、「モーターボート」競走法より引用

 

上記は、法律として定められているので当然、警察に逮捕される可能性が高いといえます。

 

八百長の約束をしただけで3年以下の懲役刑になることから、かなり厳しいことがわかります。

 

また、競艇選手にはレース前日の「前検日」という日に身体検査や私物検査を受けなければいけないという規定が存在し、この時に自身の携帯電話を含む、全ての通信機器を競艇場に預けなればいけません。

 

過去には電子手帳などの通信機器を持ち込んで、1年間出場停止になった選手の事例もあります。

 

このように、現在ではかなり厳しい規定が制定されており、八百長を行う際のデメリットはかなり大きいと言えるでしょう。

 

競艇はレースで結果を出した時のメリットの方が大きい

 

八百長はほとんどの場合、裏社会の人間などの協力者から、見返りとしてのお金などの報酬を受け取ることで成立します。

 

当然、八百長を行えば、見返りを受け取ることと引き換えに前記したように法律で罰せられ、競艇の世界にも戻ってこれません。

 

競艇選手の年収は、平均で約1600万円といわれていて、A2ランク以上の選手になれば、平均で約1800万円以上とされています。

 

競艇では1番低いランクの、B2ランクの選手でも平均で約500万円といわれています。

 

競艇で八百長が行われる場合には、レースに有利な選手がわざと負けなければ成立しません。

 

競艇では、勝率によって半年毎にランクの見直しが行われていて、八百長に加担して負けが続けば、自分のランクも下がってしまいますし、発覚した場合は当然、永久追放されます。

 

1回の見返りで数百万円のお金が手に入ったとしても、競艇選手として奮闘し、安定した成績をあげたほうがはるかにメリットが高いことがわかります。

 

八百長するとレースのオッズが不自然になる!?

2020年現在では、インターネット投票の普及もあり、舟券の売上率があがっていますが、会場数が多いことや、開催頻度が高いことなどから1レースあたりの売り上げは少ないとされています。

 

八百長を行う場合、協力者の取り分と、選手への見返りのお金が必要になります。

 

その為、八百長して的中させる舟券も、それに相当する金額分購入しなければ成立しません。

 

しかし、競艇は1レースあたりの売上が少ないことから、大量に舟券を購入すると、オッズが下がってしまうという特性があります。

 

その為、八百長をすれば不自然なオッズになってしまうので、八百長が成立しにくい環境といえるでしょう。

 

もちろん、重賞になれば舟券の売上も上がるのですが、重賞ではそれに応じた賞金も用意されます。

 

年末に開催される競艇最大の重賞とされている『賞金王決定戦』の優勝賞金は、1億円です。

 

選手からしてみても、リスクを犯して八百長に加担するよりも、正々堂々と勝負して優勝を狙う方が当然、見返りも大きいといえるでしょう。

 

レース中に身内同士でのサポートは行われている

事前に打ち合わせなどが行われることはありませんが、競艇では同じ地元の選手などを、サポートするような展開になる場合があります。

 

親しい先輩が2番手で走っていて、自分は3番手以下の場合などは、無理にレースに食い込むよりも、後続をブロックするように走り、先輩が勝てるようにサポートする、といったようなことです。

 

このようなことは事実として行われていますが、レースの規定上、違反ではありません。

 

仲間同士での無駄な闘いをするならば、展開によってお互いサポートする方が、長期的にみてメリットがあるということです。

 

近年ではSNSの普及から、サポートしたことをYouTubeなどで拡散され炎上してしまう、というようなこともある為、仲間同士でも最後まで全力で闘うケースも増えています。

 

選手としても最初から勝ちを譲ろうとしているわけではないので、あくまでもレース展開での状況判断でサポートしているだけといえるでしょう。

 

反対に、選手の特性を理解している仲間同士だからこそわかる隙をつき、1着を狙いにいくレース展開もあります。

 

競艇では、このような選手同士の人間関係を予想材料にする人も少なくありません。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の八百長の事例などデメリットについて詳しく紹介してきました。

 

国内の競艇においても、過去には少なからず八百長が存在してきました。

 

しかし、過去の事例が発覚して競艇の公式サイトで「不正行為に関する再発防止策について」というお知らせがだされるなど、現在では八百長に関する対策も進められています。

 

その為、競艇を予想する上で過度に八百長を気にする必要はありませんが、同じようなことが今後おこならないことに期待したいですね。

競艇の「峰竜太」選手ってどんな人!?実力や魅力、強さの秘訣まで徹底解説

 

写真元:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/profile?toban=4320

ご存知の方も多いかと思いますが、今回当記事では、競艇の『峰竜太』選手について紹介していきたいと思います。

 

峰選手が競艇選手になったきっかけや、デビューしてからの成績、SG優勝など、詳しく見ていきましょう。

 

峰選手は、1985年3月30日生まれで佐賀県の唐津市出身、佐賀支部所属の競艇選手です。

 

身長は174cmとやや大きめで、体重は50kgとあり、この体型を維持するのには、きっと並々ならぬ努力をされているのでしょう。

 

ルックスもよく、涙もろいなど特徴的な峰選手には、老若男女問わず大勢のファンがいて、近年の競艇ブームのきっかけとなっている1人です。

 

峰選手の特徴や強さの秘訣まで徹底的に見ていくのでぜひ、今後の予想の参考にしてみてくださいね。

 

峰竜太選手が競艇選手になるまで

峰選手は高校時代にヨット部に所属していそうで、その高校のヨット部の実力は全国的に有名で、峰選手自体も国体に出場した経験があるほどで、当時からその実力が窺えたそうです。

 

峰選手が競艇選手になったきっかけはそのボート部時代の経験にもあるようで、その後自身では、『ボートレースの迫力に感動したから』ときっかけを語っていました。

 

峰選手は以前に、『目標はボートレースオールスターのドリーム戦1号艇に乗ることです』と、発言したことがあります。

 

そして、その言葉通りに2018年の5月22日に第45回ボートレースオールスタードリーム戦競走にてファン投票1位を獲得し、宣言通りに1号での出場を果たしました。

 

さらに、そのレースでは見事に1着でゴールしています。

 

発言した目標を先月通りに達成するところが男らしいですね。しかし、その笑顔の影では相当な努力をしているはずです。

 

峰選手の次の目標も気になりますね。

 

デビューしてからすぐに頭角を現す

峰選手は2004年11月10日に唐津競艇場でデビューを果たし、その後間もなく、12月30日に現在でも得意とされる決まり手の『まくり』で見事勝利を収めています。

 

それから1年後の2005年12月6日に九州スポーツ杯争奪唐津くんち特選にて初優勝を勝ち取り、さらにその翌年には最優秀新人選手として表彰されています。

 

デビューしてすぐに、その実力を発揮し、知名度や人気を伸ばし続け、さらには初優勝が峰選手の地元というところでも当時から話題性の高い選手だったことが窺えます。

 

整備規則違反での出場停止

 

写真元:https://www.nikkansports.com/public_race/news/1828418.html

峰選手はその後も順調に成長し続けます。

 

2007年には、地元である唐津の『G1全日本王者決定戦』に、G1初出場を果たしました。

 

その出場をきっかけに、峰選手の勢いがさらに増していき、同年にSG初出場を果たしました。

 

2009年1月に芦屋競艇場で開催された『第55回九州地区選手権』にて、ついにG1初優勝を勝ち取り、そのままの快進撃を続けていくと言われておりましたが、同年3月に整備規程違反をしてしまい、1ヶ月の出場停止となりました。

 

さらに、規定により1年間SG、G1の出場権を奪われてしまうこととなりました。

 

競艇の整備規程では、選手は他の選手のプロペラやモーターの整備を手伝ってはいけないのですが、この時峰選手は他の選手の整備を手伝ってしまったのです。

 

その為、規程上のペナルティを受けることとなりました。

 

このことにより、出場権を得られず、大きなタイトルに出場できなかったものの、毎年必ず優勝を勝ち取り続いてついに、2011年5月に笹川賞でSG初優出を果たします。

 

ここからも峰選手の勢いはとどまることはなく、着々と優勝を重ね、G1タイトルを積み重ねていきますが、峰選手といえど、SGのタイトルを得ることはなかなかできませんでした。

 

この時期には、峰選手本人も『死を覚悟した』と発言する程の大事故になりそうなシーンがありましたが、他選手のとっさの機転により、無事にすんだという事もありました。

 

そしてついにSG初優勝を果たす

出場停止や大事故の危機を乗り越え、ついに、2017年7月に丸亀競艇場で開催されて『第22回 オーシャンカップ』で初めてのSG優勝を果たしました。

 

冒頭にも少し書かせてもらいましたが、峰選手は涙もろく、勝っても負けても泣くことからファンの間では『泣き虫王子』と呼ばれています。

 

初めてSGで優勝したその時も泣き虫王子っぷりが窺えましたが、レースの途中ですでに涙を流していたようです。

 

その時の様子を自身でも、『2周目から数え始めた。泣かないようにと思えば思うほど、3周目をまわっているとき、いろいろ思い出して』

と、峰選手らしい発言をされています。

 

峰竜太選手のレース時の特徴と強さの秘訣

 

写真元:https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/474928/

峰選手のレース時の大きな特徴として、平均スタートのタイミングが0,13と非常に早いことなどが挙げられます。

 

スタートのタイミングこれだけ早ければ、どのコースからでも1着が狙える可能性が増えるので、峰選手の強みの1つといえます。

 

スタートしてからの艇を扱うスキルの高さや、道中での追い上げスピードから見てもボートの扱いに加えて、ボートの調整力の高さもトップクラスの高さもと言えるでしょう。

 

峰選手のレース展開は、基本的に枠なり進入が多いのですが、チャンスさえあればインコースを狙うなど、臨機応変なターンができることも峰選手の強さの秘訣といえます。

 

1コースに入れば他を寄せ付けない強さの、『逃げ』にてほぼ勝利収める一方で、他コースからでも見事な『まくり』決めたり、さらに高い技術を必要とする『差し』や『まくり差し』も得意とされています。

 

峰選手の特徴として、闘争心が強く、常に勝利を狙っていく気持ちの強さが挙げられます。

 

どのコースからでも『絶対に勝つ』という気持ちを強く持つことが、常に自身の実力を発揮する秘訣かもしれませんね。

 

峰選手の驚異的な勝率!

峰選手は競艇選手の中でもトップクラスの勝率をあげていて、その数字は驚異的なものになります。

 

競艇選手はフライングなどをせず、1年間休みなく走り続けたとしても、約30節しか出場することはできません。

 

そして峰選手はその内の約半分で優勝を勝ち取っているのですが、そのあたりも峰選手の驚くべき勝率の高さが窺えるポイントと言えるでしょう。

 

そして、その勝率が2015年には8,59にまでなり、2017年までの3年もの間、ナンバーワンの勝率を保ち続けました。

 

峰選手は、コースに関係なく高着順を狙える選手という稀な選手で、これは予想する際にかなり大きな要素となります。

 

峰選手の1コースの勝率は91%超と驚異的な数字を記録しており、3連対率では77%超と出走しているレースであれば、間違いなく舟券から外せない存在と言えるでしょう。

 

峰選手のレーススタイルの特徴として、あまりサイドに力を掛けずにターンするということが挙げられますが、多くの選手はこの方法を取りません。

 

峰選手はこのターン方法を取るようにしてから、戦績がかなり上がったとされています。

 

このターン技術には、高校時代のヨット部での経験が活きているそうで、きっかけとなった部活動の経験も勝率に繋がっていると言えるでしょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇界の『泣き虫王子』こと峰竜太選手について詳しく紹介してきました。

 

記事中でも紹介してきましたが、高校時代の部活動から第一線で活躍し続ける峰選手にも、出場停止期間や大事故の危機などのピンチが存在しました。

 

そのピンチも見事に乗り越え、現在のような華々しい成績を飾り続けているというところにも、峰選手の競艇への気持ちの強さを感じます。

 

今後の峰竜太選手からも目が離せませんね。

競艇の『毒島誠』選手とは?強さや特徴、毒島選手が強いレースの条件まで徹底解説

 

写真元:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/profile?toban=4238

全国でもトップクラスの技術を持ち、SGを4勝するなど、名実ともにトップクラスの選手を分類される毒島選手。

 

今回当記事では、競艇の『毒島誠』選手について、レース時の特徴や獲得賞金など、詳しく紹介していきます。

 

毒島選手は2003年5月9日にデビューを飾った群馬県桐生市出身のトップレーサーで、群馬支部に所属しています。

 

ナイトレースにめっぽう強く、『夜の王者』などの異名を持つ毒島選手ですが、デイレースには強くない、というわけではありません。

 

それでは、毒島選手がどのような選手か詳しく見ていきますので、ぜひ、予想する時の参考にしてみてくださいね。

 

競艇選手を目指したきっかけ、選手としての目標は?

毒島選手は学生時代にはサッカーをしていて、市の選抜に選ばれ優秀賞を獲得するなど、元々運動神経が高かった事が窺えます。

 

毒島選手の地元にある桐生競艇場でレースを見たことがきっかけで『自分もボートに乗ってレースをして勝ちたい』と思ったそうです。

 

そして、毒島選手の身長は163cmとスポーツ選手の中では小柄な方です。

 

競艇は小柄な選手が有利とされていて、体格が競艇選手向きだったことも理由の1つとされています。

 

毒島選手の競艇選手としての目標は、『常に一流、一級で勝ち続けられる選手』、『賞金王になること』言われていて、第一線で活躍し続いている点では有言実行と言って良いでしょう。

 

もう一方の賞金王になると言う目標は、2019年、2020年とともに、賞金ランキング2位と、目標まであと一歩のところで惜しくも達成できませんでした。

 

今後、毒島選手が賞金王になることに期待しましょう。

 

毒島選手のレースの特徴と得意なコース

続いて、毒島誠選手のレースの特徴と得意なコースを見ていきましょう。

 

毒島選手は『スーパーピット離れ』を得意とする数少ない選手の中の1人です。

 

競艇におけるピットとは、水面上におけるボートの待機場所のことを指し、待機場所であるピットから、スタートの合図とともに発進することを『ピット離れ』といいます。

 

ピット離れという技術は、レースにおいてとても重要とされていて、進入コースが決まるのもピット離れ次第と言われています。

 

そして、スーパーピット離れという技術は、モーターやプロペラの整備からレース本番まで、極限までピット離れを追求し、インコースを狙うことを指し、うまく決めるにはかなり高度な技術が必要となるでしょう。

 

不利な6号艇だとしても、ピット離れ次第では他の艇の前に出られるので、インコースをとることも可能になります。

 

毒島誠選手はこの、「スーパーピット離れ」を得意としていて、インコース奪取率が高いことでもファンを魅了しているのですが、さらに、トップクラスのスピードの選手とされていて、ファンの間では毒島選手の全速ツケマイはレースの見どころとされています。

 

続いて毒島選手の得意なコースも見ていきましょう。

 

毒島誠選手は枠なり進入を得意として、どのコースからでも1着を狙うことができる選手といわれています。

 

また、平均のスタートタイミングは0,15と、SGクラスの選手では平均的なタイムです。

 

しかし毒島選手は、スタートしてからの追い上げやレース運びでもかなり評価が高く、どのコースからも1着が狙えることや、レース中盤からの追い上げる実力の高さからかなりの確率で3着以内に入ってきます。

 

毒島選手の出場するレースを予想する際には、外せない存在と言えるでしょう。

 

毒島選手の『全速ツケマイ』に注目!

先ほどでも少し触れましたが、毒島選手の魅力を語る上でこの、『ツケマイ』という技は外すことはできない特徴でしょう。

 

ツケマイは全部で6種類ある決まり手の中でも、最も高度な技術が必要になる決まり手とされています。

 

ツケマイとは、ターンする際に内側の艇とピッタリと並んで走ることで、内側の艇にプレッシャーを与えながら抜き去る高度な技術のことで、毒島選手はこのツケマイを駆使して、2周目、3周目でも逆転することが多く見受けられます。

 

この勝ち方は数多く存在する競艇選手でも、成功できるのは一握りの選手とされていて、まさにトップクラスの選手だからこそできる勝ち方と言えるでしょう。

 

毒島選手が『夜の王者』のと呼ばれる所以とは?

 

常に第一線で活躍し続ける毒島選手は、これまでに競艇界で1番グレードの高いレースであるSGで6回の優勝経験があります。

 

競艇選手は1度でもSGで優勝できれば一流の選手、と言われるほどSGで優勝することは難しいとされています。

 

そのSGで6回も優勝している毒島選手の実力は、まさに超一流と言えるでしょう。

 

そして、その6回のレース内、5回がナイター開催のナイトレースで、このことから毒島選手は『夜の王者』といわれています。

 

そして、2019年の10月27日に児島競艇場にて行われた、第66回ボートレースダービーで手にした6回目の優勝で、毒島誠選手は満を辞してデイゲームでの優勝を見事に果たし、喜びの涙を流したとされています。

 

毒島選手の気になる獲得賞金は?

競艇選手は、レースに勝利することで得ることのできる『賞金』が主な収入になる為、レースの結果がそのまま収入に表れます。

 

SGでの優勝が6回など、毒島選手の競艇選手としての凄まじいまでの勢いを考えるとこれまでの獲得賞金額もすごい金額になっていそうですよね。

 

毒島選手は現在、全競艇選手の獲得賞金額がカウントされる、『選手獲得賞金ランキング』で、2年連続2位と驚異的な結果を残しています。

 

2019年 1億7,941万9,000円

 

2020年 1億3,160万9,000円

 

(集計期間:2020年1月1日から2020年11月29日)

 

獲得賞金額 引用元:https://www.boatrace.jp/owsp/sp/site/news/2020/11/12223/

 

毒島選手は、2019年の第66回ボートレースダービーでの6回目のSG優勝で3,900万円の賞金を獲得したことで、生涯獲得賞金額が10億円を超えたとされています。

 

獲得賞金額から見ても、毒島選手が超一流の選手であることが分かりますね。

 

紺綬褒章の受章

 

写真元:https://www.google.co.jp/amp/s/www.nikkansports.com/m/general/nikkan/news/amp/202009010000862.html

 

毒島選手は競艇選手として獲得した賞金の一部を被災地のために寄付し続け、2020年9月に日本財団で行われた受章式にて、紺綬褒章を受章しています。

 

紺綬褒章とは公益のため私財を寄付し、功績が顕著な個人や団体に対し、内閣の助言と承認のもと天皇陛下から授与されます。

 

また、受章時には、

 

「大きな自然災害が発生するたびに心を痛め、被災された方へ何ができるだろうと考えました。今後も皆さまに元気をお届けできるようなレースをしていきたいと思います」

 

と発言していて、競艇を通して自身ができることを考え、行動している点でも超一流の素晴らしい選手と言えるでしょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の毒島選手について詳しく紹介してきました。

 

毒島選手のレーススタイルや、得意なコースなど、ぜひ、予想する際の参考にしてみてください。

 

記事中で紹介した、獲得賞金額もどこまで伸ばせるのかも注目ですね。

 

すでに現状でも話題性のある選手ですが、今後も毒島選手のご活躍を期待したいですね。

競艇の守屋美穂選手ってどんな人?レーススタイル、獲得賞金額まで徹底解説!!

 

写真元:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/profile?toban=4482

知っている方も多いかと思いますが、今回当記事では、岡山のヴィーナスとも称されている、美人競艇選手の守屋美穂選手について紹介しています。

 

守屋選手は学生時代に地元香川県から岡山県に引っ越ししており、岡山県の高校で重量挙げの選手として活躍していました。

 

2006年に行われている、全国高等学校女子ウエイトリフティング競技選手権大会で優勝

しているほどの実力で、現在でも『怪力美人レーサー』の愛称でも親しまれています。

 

もちろん守屋選手は、怪力自慢というだけではなく、競艇選手としても才能を発揮して活躍している選手です。

 

守屋選手のレーススタイルの特徴や獲得賞金額まで徹底的に見ていくのでぜひ、今後の予想の参考にしてみてくださいね。

競艇選手を目指したきっかけとは?

 

守屋選手が競艇選手を目指したきっかけは父親に勧められたからと言われています。

 

競艇選手の間ではよく耳にする話ですが、守屋選手も幼少期に父親に連れられ、何度か競艇場までレースを見に行っていたそうです。

 

その時はあまり興味を持たなかったそうですが、ある日ボートの試乗会で実際に選手のボートに乗せてもらった時におもしろいと感じ、その後は積極的にイベントなどでボートに乗せてもらっていたと言われています。

 

守屋選手は高校に入学した時点で、すでに競艇選手になれたらいいなと思うほど、競艇への意識は高かったそうです。

 

中学生のときは、腕立て伏せの一回もできなかった、一般的な女の子だったようで、後に全国大会で優勝する、ウェイトリフティング部に入学したのも競艇選手になるための筋トレになればと思い、入部したと言われています。

実は兄妹で競艇選手!?お兄さんは?

実は守屋美穂選手のお兄さんである、守屋大地選手も競艇選手で、兄妹で現役の競艇選手ということになります。

 

競艇選手としてのキャリアは妹の美穂さんのほうが長く、妹が競艇選手として活躍している姿をみて、兄の大地さんも競艇選手になる決意したそうです。

 

兄である、守屋大地選手は競艇選手になるにあたり、年齢制限や視力が大きなネックになっていたとされていますが、年齢制限の規定が変更されるタイミングも味方し、本人の努力や、妹である守屋美穂選手の影響で競艇選手になったとされています。

 

当時から守屋美穂選手は、実のお兄さんである守谷大地選手にも影響を与えるような活躍をされていたと言えますね。

守屋選手の初勝利は?

 

写真元:https://www.nikkansports.com/public_race/news/202008090000622.html

守屋選手はボートレーサー養成所時代に行われたリーグ戦の第1戦で優勝し、卒業記念競走の優勝戦で3着に入るという好成績を残しています。

 

養成所時代から成績がよく、競艇選手として、デビュー前から注目されるほどで、当時から実力のあった選手と言えるでしょう。

 

守屋選手は2007年11月20日に尼崎競艇場でデビューを果たしますが、デビュー戦の成績は6コースからの出走ということもあり、6着でした。

 

しかし同年12月29日にびわこ競艇場にて行われた一般戦で見事、初勝利を掴み取ります。

 

この勝利はデビューから22走目での初勝利であり、これは他の競艇選手と比べるとかなり早い段階での勝利といえます。

 

初優勝、その後の成績

2009年5月14日、徳山競艇場で初めての優出を果たし、レースの結果は5着でした。

 

その後も勢いは衰えることなく、守屋選手の快進撃は続きます。

 

デビューしてから5年後の2012年2月28には、多摩川競艇場で開催された『G1第25回女子王座決定戦競走』でG1初出場を果たします。

 

同年8月2日、若松競艇場で開催された『G1第26回女子王座決定戦競走』では、3日目の10Rで見事1着でのゴールを勝ち取り、G1初勝利を飾りました。

 

守谷選手は過去に結婚していて、2015年には産休に入りますが、2016年には復帰し、地元である児島競艇場で開催された女子戦でも優勝を決め、産休でのブランクも感じさせませんでした。

 

そして、2018年11月に芦屋競艇場で開催された『GⅡ第5回レディースチャレンジカップ』では、初日からの好成績をキープして優勝戦での1枠を手に入れ、GⅡ初優勝を飾ると同時に3度目のクイーンズクライマックスの出場も手中にします。

 

2019年7月には、芦屋競艇場で開催された『GⅡモーターボート大賞競走』で自身初となる男女混合競走での優勝を決めました。

 

このことから見ても、男性の選手と比べても守屋選手の実力が高いことがわかりますね。

 

2020年1月に江戸川競艇場で開催された『GⅢオールレディース江戸川女王決定戦 KIRINCUP』では、自身の31歳のバースデーに見事、優勝を掴み取り話題になりました。

 

守屋選手のレーススタイルの特徴、得意なコースは?

 

写真元:https://www.nikkansports.com/public_race/photonews/photonews_nsInc_202008080000610-1.html

続いて、守谷選手のレーススタイルと得意なコースも見ていきましょう。

 

守屋選手のレーススタイルの特徴として、1コースで出走するときの驚異的な強さが挙げられます。

 

2019年の成績を見てみると、1コースで出走したときの1着率がなんと、80%を超えていることがわかります。

 

女子選手として見ても、競艇選手全員で見ても、かなり優秀な成績と言えるでしょう。

 

また、守屋選手の進入コースは基本的に枠なり進入ですが、機会があれば少しでもインコースを狙うように動いていることから、やはりインコースが得意なことがわかります。

 

出来るだけ早くスタートを切って、1マーク先マイで逃げ切ることが、1コースでの代表的な戦い方です。

 

しかし、守屋選手の平均のスタートタイミングは0,17とトップクラスの選手の中では決して早い方ではありません。

 

過去の平均のスタートタイミングを見ても、守屋選手は慎重にスタートを切ることがわかりますが、できる限りの全速で合わせる『スタートの質』と、1マークでの『ターンの技術』でカバーして勝利を量産していると言えるでしょう。

 

また、2~4コースで出走するときの3連対率も50%を上回り、最も不利とされる6コースからでも30%超えを記録するなどレース道中の安定的な捌きも魅力の1つとされていて、予想する上で舟券から外すことはできない選手と言えます。

 

インコース戦で安定的に勝利を獲得し、アウトコース戦では着実に連対をキープするという、節間での総合力に長けた戦い方ができるのも守屋選手の強みですね。

 

守谷選手の獲得賞金額は?

ここまでの記事にもあったように、守屋選手は女子選手として第1線で活躍しているトップレーサーの1人です。

 

当然、獲得賞金の方も気になりますよね。

 

それでは、ここ3年の獲得賞金を順を追って見ていきましょう。

 

2018年3,385万5,679円(第7位)

 

2019年4,434万1,072円 (第4位)

 

2020年4,485万円(第1位 12月19日時点)

 

守屋選手は2020年の12月19日時点で女子戦賞金ランキング第1位となっており、名実ともに競艇クイーンの栄冠を手にしています。

 

賞金女王や今後の活躍など、どこまで獲得賞金額を伸ばしていけるかも楽しみですね。

 

まとめ

今回当記事では、『怪力美人レーサー』の守屋美穂選手について詳しく紹介してきました。

 

デビューしてからトップレーサーといわれる現在まで、変わらぬ勢いで快進撃を続けているのは、守屋選手の努力の賜物と言えるでしょう。

 

今回の記事にあったレーススタイルや得意なコースなど、ぜひ、予想の参考にしてみてくださいね。