競艇の『吉川元浩選手』とは?成績、得意なレースまで徹底解説!

 

写真元:https://www.boatrace.jp/owpc/pc/data/racersearch/profile?toban=3854

ご存知の人も多いかと思いますが、『ゲンコー』という愛称で親しまれている、吉川元浩選手。

 

今回当記事では、『吉川元浩』について、競艇選手になるまでの道のりや、得意なレースまで詳しく紹介していきます。

 

吉川選手はボートレーサーの養成所を受験した時すでに22歳で、当時の年齢制限の上限で受験しています。

 

そして、デビュー時の年齢は24歳で、当時の競艇選手の中ではかなり高い年齢でのデビューとされています。

 

しかし、吉川選手はその年齢的なハンデを乗り越え、デビュー以降も競艇選手としての努力を決して怠ることなく、堅実に結果を積み重ねていくことになります。

 

吉川選手の競艇選手としてのデビューが、なぜ年齢的にハンデのあるタイミングからだったのか、なども記事中で詳しく紹介していきます。

 

それでは順に見ていきましょう。

 

吉川選手のプロフィール

吉川選手は兵庫県の出身で、兵庫支部に属しています。

 

・生年月日 1972年9月7日

 

・デビュー 1996年11月17日

 

と、生年月日とデビューの年を見ても、選手としてのスタートから年齢が高かったことが窺えます。

 

身長 164cm、体重 51kgと競艇選手としては平均的な体格をしていますが、24歳から競艇の世界に飛び込み、この体型を作っていくことにはかなりの努力があったことでしょう。

 

ちなみに、血液型は O型で、2020年現在では見事、競艇選手の中では1番グレードの高いクラスである、A1クラスの選手として登録されています。

 

吉川が競艇選手になったのは会社員からの転身だった

吉川選手は当時、在学していた兵庫県立兵庫工業高等学校卒業後、兵庫県内にある建築会社にて就職し、会社員として働いていたそうです。

 

吉川選手の人生に転機が訪れたきっかけは、当時会社員として働いていたときに発生してしまった大災害、阪神・淡路大震災でした。

 

1995年1月17日の早朝、最大震度7という大規模な地震が関西地方を襲いました。

 

結果的に、阪神・淡路大震災は6000人以上の死者を出し、日本においても歴史的な大災害になってしまいました。

 

吉川選手が当時住んでいた住宅も、その激しい揺れによって全壊、さらに職場も大きな被害を受けたとされています。

 

それまで会社員として安定した生活を送っていた吉川選手も例に漏れず、避難所での生活を余儀なくされました。

 

避難所での生活で、吉川選手は肉体的にも精神的にも追い詰められた状態になってしまったとされていますが、そんな中吉川選手が競艇選手になるきっかけが訪れます。

 

それは、『会社の同僚からの言葉』だったそうです。

 

当時、同災害で被災された会社の同僚に、競艇選手になることを勧められたことがきっかけで吉川選手は競艇選手を志すことになったのです。

 

死にものぐるいで掴み取った競艇選手として遅咲きのデビュー

当時勤めていた会社の同僚からの勧めにより競艇選手としての狭き門を進むこととなった吉川選手は、1995年に22歳という年齢でボートレーサー養成所に入所しました。

 

ボートレーサーの養成所は15歳から入所することができ、その殆どは10代で入所します。

 

22歳という年齢で入所した吉川選手は入所者としては年齢が高く、当時の年齢制限の上限年齢での入所となりました。

 

しかし、吉川選手は当時、年齢的なハンディキャップを乗り越えるため、死にものぐるいで相当な訓練を積んだと言われています。

 

そしてなんと、トップクラスの成績でボートレーサー養成所を卒業しました。

 

弛まぬ努力と、様々なことを背負った強い想いから競艇選手として念願のデビューを果たしたのです。

 

吉川選手は1996年11月17日、尼崎競艇場で開催されたデビュー戦では、見事に1着でのゴールを掴み取ります。

 

そしてさらに、デビューしてまだ間もない1997年4月に優勝戦への初出場まで果たしました。

 

このように、競艇選手として吉川選手のデビュー直後の勢いは凄まじいものでした。

 

しかし、現実は厳しく、その後の吉川選手を待ち構えていたものは途方もないような苦難の道でした。

 

デビューの勢いから一転、何年も続いた苦難の道

様々な苦難を乗り越えて、競艇選手としての華々しいデビューを果たし、最高の形でスタートしたと思えた吉川選手ですが、その道は決して簡単なものではありませんでした。

 

競艇選手であれば誰もが憧れ、挑戦してみたくなる大きな目標とされているもの、それは競艇界最高峰のレースであるSGへの出場、そして優勝です。

 

もちろん、吉川選手も全競艇選手の目標であるSGでの優勝を目指し、何度も何度もチャレンジし続けました。

 

しかし、何度挑戦しても栄冠を手にすることはできず、優勝戦には勝ち上がったものの、優勝することはできなかった経験もあるなど、悔しい思いをたくさん味わってきました。

 

そして、吉川選手のデビューから10年もの年月が経過します。

 

10年もの間、選手として奮闘し続け、厳しい練習に身を捧げて成長を続けた吉川選手の現状は、好転することはありませんでした。

 

しかし、吉川選手は決して諦めることをせずに、自身と競艇に対してのチャレンジを辞めることもしませんでした。

 

そして、デビューから11年もの年月が経過した2007年12月、ついにその時は訪れました。

 

数々の困難を乗り越え、涙のSG初優勝

 

写真元:https://www.nikkansports.com/public_race/news/201903220000293.html

吉川選手がデビューした1996年から11年後の2007年12月24日のクリスマスイブに福岡競艇場にて開催された第22回『賞金王決定戦』に悲願の初出場を果たしました。

 

そして吉川選手は順調に勝ち進み、実に8度目となるSG優勝戦へと駒を進めます。

 

そして最も、名誉とプレッシャーがのし掛かるとされる1番人気の中、ついにSGでの初優勝をその手に勝ち取ったのです。

 

吉川選手はそのレースが終わった後、涙を流したとされています。

 

そのあまりに美しく、あまりにもたくましい涙までデビューから実に11年。

 

自身と競艇に対してのチャレンジを決して諦めることなく、執念で勝ち取ったSG初優勝。

 

吉川選手がそれまで背追い込んでいた様々な想いが、涙となって溢れ出たそのシーンは数ある競艇のハイライトでも、最高の瞬間の1つとされています。

 

吉川選手のSG初優勝までの長く、苦しい道のりは、数々のテレビ番組などでも取り上げられ、競艇界の中でも話題になりました。

 

当然、吉川選手にしか分からないであろう困難な道のりであったと思いますが、諦めないことや、努力を続けること、チャレンジし続ける姿勢は多くの競艇ファンに夢を与えました。

 

様々な想いを背負って遅がけの競艇選手になった、吉川選手の競艇にかける想いは計り知れない程強く、大きなものなのでしょう。

 

吉川選手は、2019年3月21日、戸田競艇場において開催された平成最後となるSGの第54回総理大臣杯で見事2回目のSG優勝を果たしました。

 

さらに、同年5月26日に福岡競艇場で開催された、令和初となるSGの第46回笹川賞も制し、SG2連続優勝という快挙も果たしています。

 

吉川選手は2020年現在でも、獲得賞金が1億円を超えるなど、トップクラスの選手として走り続けています。

 

吉川選手のレーススタイルの特徴・得意なコース

 

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最後に、吉川選手のレーススタイルや得意なコースを見ていきましょう。

 

吉川選手の進入は基本的に枠なり進入で、どこの競艇場の、どのコースからでも1着が狙える実力があるとされています。

 

吉川選手の平均スタートのタイミングは0,15でSGクラスの選手としては平均的なタイミングとなっています。

 

しかし、6コースに入った時には0,11とタイミングが早くなることから、アウトコースからのスタートを得意としているようです。

 

ハイレベルなレースでも、十分に舟券に絡む可能性があるので、予想する上でも常に注目しておきたい選手ですね。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の吉川選手について詳しくは紹介してきました。

 

記事中でも紹介してきましたが、吉川選手は数々の逆境を乗り越えながら活躍を続け、競艇ファンに夢を与え続けてくれている選手の一人です。

 

競艇に限らず、どんな時でも吉川選手のような強い気持ちはぜひ、見習いたいところですよね。

 

どこまで獲得賞金額を伸ばせるかなど、今後の吉川選手にも注目ですね。

競艇の「峰竜太」選手ってどんな人!?実力や魅力、強さの秘訣まで徹底解説

 

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ご存知の方も多いかと思いますが、今回当記事では、競艇の『峰竜太』選手について紹介していきたいと思います。

 

峰選手が競艇選手になったきっかけや、デビューしてからの成績、SG優勝など、詳しく見ていきましょう。

 

峰選手は、1985年3月30日生まれで佐賀県の唐津市出身、佐賀支部所属の競艇選手です。

 

身長は174cmとやや大きめで、体重は50kgとあり、この体型を維持するのには、きっと並々ならぬ努力をされているのでしょう。

 

ルックスもよく、涙もろいなど特徴的な峰選手には、老若男女問わず大勢のファンがいて、近年の競艇ブームのきっかけとなっている1人です。

 

峰選手の特徴や強さの秘訣まで徹底的に見ていくのでぜひ、今後の予想の参考にしてみてくださいね。

 

峰竜太選手が競艇選手になるまで

峰選手は高校時代にヨット部に所属していそうで、その高校のヨット部の実力は全国的に有名で、峰選手自体も国体に出場した経験があるほどで、当時からその実力が窺えたそうです。

 

峰選手が競艇選手になったきっかけはそのボート部時代の経験にもあるようで、その後自身では、『ボートレースの迫力に感動したから』ときっかけを語っていました。

 

峰選手は以前に、『目標はボートレースオールスターのドリーム戦1号艇に乗ることです』と、発言したことがあります。

 

そして、その言葉通りに2018年の5月22日に第45回ボートレースオールスタードリーム戦競走にてファン投票1位を獲得し、宣言通りに1号での出場を果たしました。

 

さらに、そのレースでは見事に1着でゴールしています。

 

発言した目標を先月通りに達成するところが男らしいですね。しかし、その笑顔の影では相当な努力をしているはずです。

 

峰選手の次の目標も気になりますね。

 

デビューしてからすぐに頭角を現す

峰選手は2004年11月10日に唐津競艇場でデビューを果たし、その後間もなく、12月30日に現在でも得意とされる決まり手の『まくり』で見事勝利を収めています。

 

それから1年後の2005年12月6日に九州スポーツ杯争奪唐津くんち特選にて初優勝を勝ち取り、さらにその翌年には最優秀新人選手として表彰されています。

 

デビューしてすぐに、その実力を発揮し、知名度や人気を伸ばし続け、さらには初優勝が峰選手の地元というところでも当時から話題性の高い選手だったことが窺えます。

 

整備規則違反での出場停止

 

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峰選手はその後も順調に成長し続けます。

 

2007年には、地元である唐津の『G1全日本王者決定戦』に、G1初出場を果たしました。

 

その出場をきっかけに、峰選手の勢いがさらに増していき、同年にSG初出場を果たしました。

 

2009年1月に芦屋競艇場で開催された『第55回九州地区選手権』にて、ついにG1初優勝を勝ち取り、そのままの快進撃を続けていくと言われておりましたが、同年3月に整備規程違反をしてしまい、1ヶ月の出場停止となりました。

 

さらに、規定により1年間SG、G1の出場権を奪われてしまうこととなりました。

 

競艇の整備規程では、選手は他の選手のプロペラやモーターの整備を手伝ってはいけないのですが、この時峰選手は他の選手の整備を手伝ってしまったのです。

 

その為、規程上のペナルティを受けることとなりました。

 

このことにより、出場権を得られず、大きなタイトルに出場できなかったものの、毎年必ず優勝を勝ち取り続いてついに、2011年5月に笹川賞でSG初優出を果たします。

 

ここからも峰選手の勢いはとどまることはなく、着々と優勝を重ね、G1タイトルを積み重ねていきますが、峰選手といえど、SGのタイトルを得ることはなかなかできませんでした。

 

この時期には、峰選手本人も『死を覚悟した』と発言する程の大事故になりそうなシーンがありましたが、他選手のとっさの機転により、無事にすんだという事もありました。

 

そしてついにSG初優勝を果たす

出場停止や大事故の危機を乗り越え、ついに、2017年7月に丸亀競艇場で開催されて『第22回 オーシャンカップ』で初めてのSG優勝を果たしました。

 

冒頭にも少し書かせてもらいましたが、峰選手は涙もろく、勝っても負けても泣くことからファンの間では『泣き虫王子』と呼ばれています。

 

初めてSGで優勝したその時も泣き虫王子っぷりが窺えましたが、レースの途中ですでに涙を流していたようです。

 

その時の様子を自身でも、『2周目から数え始めた。泣かないようにと思えば思うほど、3周目をまわっているとき、いろいろ思い出して』

と、峰選手らしい発言をされています。

 

峰竜太選手のレース時の特徴と強さの秘訣

 

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峰選手のレース時の大きな特徴として、平均スタートのタイミングが0,13と非常に早いことなどが挙げられます。

 

スタートのタイミングこれだけ早ければ、どのコースからでも1着が狙える可能性が増えるので、峰選手の強みの1つといえます。

 

スタートしてからの艇を扱うスキルの高さや、道中での追い上げスピードから見てもボートの扱いに加えて、ボートの調整力の高さもトップクラスの高さもと言えるでしょう。

 

峰選手のレース展開は、基本的に枠なり進入が多いのですが、チャンスさえあればインコースを狙うなど、臨機応変なターンができることも峰選手の強さの秘訣といえます。

 

1コースに入れば他を寄せ付けない強さの、『逃げ』にてほぼ勝利収める一方で、他コースからでも見事な『まくり』決めたり、さらに高い技術を必要とする『差し』や『まくり差し』も得意とされています。

 

峰選手の特徴として、闘争心が強く、常に勝利を狙っていく気持ちの強さが挙げられます。

 

どのコースからでも『絶対に勝つ』という気持ちを強く持つことが、常に自身の実力を発揮する秘訣かもしれませんね。

 

峰選手の驚異的な勝率!

峰選手は競艇選手の中でもトップクラスの勝率をあげていて、その数字は驚異的なものになります。

 

競艇選手はフライングなどをせず、1年間休みなく走り続けたとしても、約30節しか出場することはできません。

 

そして峰選手はその内の約半分で優勝を勝ち取っているのですが、そのあたりも峰選手の驚くべき勝率の高さが窺えるポイントと言えるでしょう。

 

そして、その勝率が2015年には8,59にまでなり、2017年までの3年もの間、ナンバーワンの勝率を保ち続けました。

 

峰選手は、コースに関係なく高着順を狙える選手という稀な選手で、これは予想する際にかなり大きな要素となります。

 

峰選手の1コースの勝率は91%超と驚異的な数字を記録しており、3連対率では77%超と出走しているレースであれば、間違いなく舟券から外せない存在と言えるでしょう。

 

峰選手のレーススタイルの特徴として、あまりサイドに力を掛けずにターンするということが挙げられますが、多くの選手はこの方法を取りません。

 

峰選手はこのターン方法を取るようにしてから、戦績がかなり上がったとされています。

 

このターン技術には、高校時代のヨット部での経験が活きているそうで、きっかけとなった部活動の経験も勝率に繋がっていると言えるでしょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇界の『泣き虫王子』こと峰竜太選手について詳しく紹介してきました。

 

記事中でも紹介してきましたが、高校時代の部活動から第一線で活躍し続ける峰選手にも、出場停止期間や大事故の危機などのピンチが存在しました。

 

そのピンチも見事に乗り越え、現在のような華々しい成績を飾り続けているというところにも、峰選手の競艇への気持ちの強さを感じます。

 

今後の峰竜太選手からも目が離せませんね。

競艇の『毒島誠』選手とは?強さや特徴、毒島選手が強いレースの条件まで徹底解説

 

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全国でもトップクラスの技術を持ち、SGを4勝するなど、名実ともにトップクラスの選手を分類される毒島選手。

 

今回当記事では、競艇の『毒島誠』選手について、レース時の特徴や獲得賞金など、詳しく紹介していきます。

 

毒島選手は2003年5月9日にデビューを飾った群馬県桐生市出身のトップレーサーで、群馬支部に所属しています。

 

ナイトレースにめっぽう強く、『夜の王者』などの異名を持つ毒島選手ですが、デイレースには強くない、というわけではありません。

 

それでは、毒島選手がどのような選手か詳しく見ていきますので、ぜひ、予想する時の参考にしてみてくださいね。

 

競艇選手を目指したきっかけ、選手としての目標は?

毒島選手は学生時代にはサッカーをしていて、市の選抜に選ばれ優秀賞を獲得するなど、元々運動神経が高かった事が窺えます。

 

毒島選手の地元にある桐生競艇場でレースを見たことがきっかけで『自分もボートに乗ってレースをして勝ちたい』と思ったそうです。

 

そして、毒島選手の身長は163cmとスポーツ選手の中では小柄な方です。

 

競艇は小柄な選手が有利とされていて、体格が競艇選手向きだったことも理由の1つとされています。

 

毒島選手の競艇選手としての目標は、『常に一流、一級で勝ち続けられる選手』、『賞金王になること』言われていて、第一線で活躍し続いている点では有言実行と言って良いでしょう。

 

もう一方の賞金王になると言う目標は、2019年、2020年とともに、賞金ランキング2位と、目標まであと一歩のところで惜しくも達成できませんでした。

 

今後、毒島選手が賞金王になることに期待しましょう。

 

毒島選手のレースの特徴と得意なコース

続いて、毒島誠選手のレースの特徴と得意なコースを見ていきましょう。

 

毒島選手は『スーパーピット離れ』を得意とする数少ない選手の中の1人です。

 

競艇におけるピットとは、水面上におけるボートの待機場所のことを指し、待機場所であるピットから、スタートの合図とともに発進することを『ピット離れ』といいます。

 

ピット離れという技術は、レースにおいてとても重要とされていて、進入コースが決まるのもピット離れ次第と言われています。

 

そして、スーパーピット離れという技術は、モーターやプロペラの整備からレース本番まで、極限までピット離れを追求し、インコースを狙うことを指し、うまく決めるにはかなり高度な技術が必要となるでしょう。

 

不利な6号艇だとしても、ピット離れ次第では他の艇の前に出られるので、インコースをとることも可能になります。

 

毒島誠選手はこの、「スーパーピット離れ」を得意としていて、インコース奪取率が高いことでもファンを魅了しているのですが、さらに、トップクラスのスピードの選手とされていて、ファンの間では毒島選手の全速ツケマイはレースの見どころとされています。

 

続いて毒島選手の得意なコースも見ていきましょう。

 

毒島誠選手は枠なり進入を得意として、どのコースからでも1着を狙うことができる選手といわれています。

 

また、平均のスタートタイミングは0,15と、SGクラスの選手では平均的なタイムです。

 

しかし毒島選手は、スタートしてからの追い上げやレース運びでもかなり評価が高く、どのコースからも1着が狙えることや、レース中盤からの追い上げる実力の高さからかなりの確率で3着以内に入ってきます。

 

毒島選手の出場するレースを予想する際には、外せない存在と言えるでしょう。

 

毒島選手の『全速ツケマイ』に注目!

先ほどでも少し触れましたが、毒島選手の魅力を語る上でこの、『ツケマイ』という技は外すことはできない特徴でしょう。

 

ツケマイは全部で6種類ある決まり手の中でも、最も高度な技術が必要になる決まり手とされています。

 

ツケマイとは、ターンする際に内側の艇とピッタリと並んで走ることで、内側の艇にプレッシャーを与えながら抜き去る高度な技術のことで、毒島選手はこのツケマイを駆使して、2周目、3周目でも逆転することが多く見受けられます。

 

この勝ち方は数多く存在する競艇選手でも、成功できるのは一握りの選手とされていて、まさにトップクラスの選手だからこそできる勝ち方と言えるでしょう。

 

毒島選手が『夜の王者』のと呼ばれる所以とは?

 

常に第一線で活躍し続ける毒島選手は、これまでに競艇界で1番グレードの高いレースであるSGで6回の優勝経験があります。

 

競艇選手は1度でもSGで優勝できれば一流の選手、と言われるほどSGで優勝することは難しいとされています。

 

そのSGで6回も優勝している毒島選手の実力は、まさに超一流と言えるでしょう。

 

そして、その6回のレース内、5回がナイター開催のナイトレースで、このことから毒島選手は『夜の王者』といわれています。

 

そして、2019年の10月27日に児島競艇場にて行われた、第66回ボートレースダービーで手にした6回目の優勝で、毒島誠選手は満を辞してデイゲームでの優勝を見事に果たし、喜びの涙を流したとされています。

 

毒島選手の気になる獲得賞金は?

競艇選手は、レースに勝利することで得ることのできる『賞金』が主な収入になる為、レースの結果がそのまま収入に表れます。

 

SGでの優勝が6回など、毒島選手の競艇選手としての凄まじいまでの勢いを考えるとこれまでの獲得賞金額もすごい金額になっていそうですよね。

 

毒島選手は現在、全競艇選手の獲得賞金額がカウントされる、『選手獲得賞金ランキング』で、2年連続2位と驚異的な結果を残しています。

 

2019年 1億7,941万9,000円

 

2020年 1億3,160万9,000円

 

(集計期間:2020年1月1日から2020年11月29日)

 

獲得賞金額 引用元:https://www.boatrace.jp/owsp/sp/site/news/2020/11/12223/

 

毒島選手は、2019年の第66回ボートレースダービーでの6回目のSG優勝で3,900万円の賞金を獲得したことで、生涯獲得賞金額が10億円を超えたとされています。

 

獲得賞金額から見ても、毒島選手が超一流の選手であることが分かりますね。

 

紺綬褒章の受章

 

写真元:https://www.google.co.jp/amp/s/www.nikkansports.com/m/general/nikkan/news/amp/202009010000862.html

 

毒島選手は競艇選手として獲得した賞金の一部を被災地のために寄付し続け、2020年9月に日本財団で行われた受章式にて、紺綬褒章を受章しています。

 

紺綬褒章とは公益のため私財を寄付し、功績が顕著な個人や団体に対し、内閣の助言と承認のもと天皇陛下から授与されます。

 

また、受章時には、

 

「大きな自然災害が発生するたびに心を痛め、被災された方へ何ができるだろうと考えました。今後も皆さまに元気をお届けできるようなレースをしていきたいと思います」

 

と発言していて、競艇を通して自身ができることを考え、行動している点でも超一流の素晴らしい選手と言えるでしょう。

 

まとめ

今回当記事では、競艇の毒島選手について詳しく紹介してきました。

 

毒島選手のレーススタイルや、得意なコースなど、ぜひ、予想する際の参考にしてみてください。

 

記事中で紹介した、獲得賞金額もどこまで伸ばせるのかも注目ですね。

 

すでに現状でも話題性のある選手ですが、今後も毒島選手のご活躍を期待したいですね。